アメリカ、ロシアをはじめ世界各国に、超能力者は居るのです。
そのような超能力者の中には、この事件に関しても、具体的なできごとに付いて。話として聞いたとか。インターネットで
知ったと云うことではなくて、真実を知ることの出来る人も居るかも知れません。勿論超能力といえども、話として聞くと
とか、インターネットで出来事を知る云うような、キッカケとなる何らかの縁が生じないと、超能力そのものが起動しないようにも
聞いております。当事件に関しては、仮に真実の内容が解かる超能力者が居たとしても。他国の内政に関連することは、
直接的には話してはもらえないでしょう。そのような超能力者が居るとして、手を繋ぐなどすれば、常人でも幾らかは
能力が分ち合えられる場合が有るのではなすか?と想像します。
互いが外国人である人間同士でテレパシーを行えば、外国語で想う
などと云うことは至難の業と考えられますので、双方とも母国語で、想いのやり取りをすることになると思います。
母国語で想ったことを一度外国語に翻訳してから、想い直すなどと云うことは、あり得ないと思います。
想うと云うことは、外国語に翻訳する作業も想いの中で行われると云うことですので、正確に受信できる相手が居るとすれば
その作業さえも相手に伝わることを意味します。それは伝えようとする「名題」以外のもの、即ち「ここはこう表現しなくてはいけない」
などと云った想いが、意味不明な念として伝わることを意味します。ですので翻訳の必要があるならば、伝達手段としては、
役に立たなくなるものと考えられます。
オ
テレパシーは言葉と違って、想いのやり取りですから、多分
翻訳など行う暇は無いと思います。どういうことか云えば、嘘を言葉で云うことはできますが、嘘を想うなどと
云うこはできないのです。しかし嘘を言葉にするには、どのような言葉で云えばよいか?想いの中で考えなくてはならないのです。
翻訳と同じ作業が行われているのです。もし完全な形で、他人の想いを知ることができる人が居るとすれば、「ここはこのように
言わないとバレルだろう」などと云う想いも解かると云うことなのです。では母国語の違う互いが外国人の間では、テレパシーは
できないかと言えばそうではないと思います。
想いと云うものは感情に属するものですので、何語で想おうが
痛いことは痛いのであり、うれしいことはうれしいのであり、何語で表現しょうが内容に変わりはないのです。
これこれのことを行いたいとか、あの人に会いたいとか、アイツが憎いといった想いを考えていただければ、
感情と同じ種類のものであることが解かります。感情であれば、翻訳しなくても他人に通じてしまいます。
しかし、感情と云えども何かを想えば、何らかの言語で想うのであり、解かる方も何らかの言語で解かるのです。
その言語は母国語以外にないと思います。とすればテレパシーは、想いの精密な自動翻訳装置と
云うことができるかも知れません。
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