自らをも騙している欺瞞行為の現象に関しては、超能力所有者
以外は、即座に欺瞞とは見破れないだろうから、正しい対応を取ることはできないことでもあります。
ですので、超能力者以外は、一二度は間違いますが、私の自称養父のような例外を除けば、欺瞞が有っても、
他に害を及ぼすことは少ないと思います。しかし、超能力所有者は、特定の人が自らを騙している欺瞞行為に関しても、
他の人がその能力を信じると云う現象がありますので、通常人とは責任の有りようが違います。全て見通すことができると言いながら、
騙されたでは済まされないと云う意味です。
当家では、子供達が長年の間に培ってきた、私を嫌いだとする
言い分や演技が癖になって、直ちには改善されないことに関して、そのように振舞わざるを得なくなっていたのならば
その責任をどうしてくれるか?と云うことでありもあります。私は年から年中実子達から、誤解や演技で嫌いだと表現されて
いました。家内は表に現れたものしか理解できないのですから、ウラ事情のあることが後になって解ったとしても、手遅れとなり、
手の施しようがなくなるのです。誤解や建前を続けていれば、実際に、その通リ嫌いになってしまう場合があるのです。
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事件の終局が有るのか?ないのか?が問題ですが、子供達はそれぞれの
生活を持っているのですから、終局の見込みのなしい事態や関係する者にこだわっている分けにはいかないのです。
私から離反するより仕方がないのです。その責任を問うことが、どうしてズル賢い(幸福の科学を非難しなくてはならない)
と云えるのか? 解決は、方法論にばかりこだわっているからいけないのです。GLA&幸福の科学は、宗教の立場から、
以上の事実をどのように受け止めているか?問わざるを得ません。
その後のことに関して、GLA&幸福の科学はどうしてくれるか?
と云うことです。親子には、大人の対応を学習する時期というものがありますが、その時期を喪失したと云うことです。
上記に関しては、幸福の科学が宗教団体でなく、政治団体などであれば、必ずしも不当なものではないでしょうが、
それならば、当方の家族も入会することはなかったのです。(当初のキャチフレーズとは違っていたと云う意味)
宗教がの使命を果たしながら、コトの解決ニは政治的手段をも使用するのではなく、政治の行うことしか行わないのであれば、
国は再認定の必要にがあります。そのような制度を樹立すべきだと思います。
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