オーム事件では、法廷の外では(法廷に持ち込まれる以前は)犯人達は
一致協力して、悪事を行っていたのですが、法廷内では、互いに罪を擦り付けるなどの分裂、争いが生じたとのことですが、
当事件の場合は、私にとって蚊帳の外で複数の立場が、(トヨタ一つを例にとっても、さらにその中には立場が分裂しており、
一つにまとまっていたとは考えられなかった)互いに罪を擦り付け合うなどの、争いが生じていたものと推測できます。
もし事件が法廷に持ち込まれれば、それら複数の蚊帳の外の立場が、一致協力して、当方に対して敵対行為が取れるものか、
否かも、関係者又は第三者は検討(考慮)していただきたいと思います。
注1:検証とは実際に事件になるか?どうかを?現実に行ってみて
その結果で判断することではありません。だからと云って、オームの上祐のような、弁証法(一種の言葉の揚げ足取り⇒
論争の場合に適用される場合が多い)で検討することも間違いと云えます。いわんや法廷内で弁証法が、正当な論理手段として、
認められることなどがあれば、とんでもないことです。少なくとも、弁証法に通熟している者の方が有利になります。
法廷は勝ち負けを判定する場ではなく、正邪を判定するところでなくてはいけないのです。論理手段の学習によって、
正邪が決定されることなど、あってはならないことです。
注2:私の過去世の言及については、特に方便として言った分けでは
ありませんが、方便としても通用することは知っていた。又果たして、反省に弁証法が通用するものか?
どうかを考えていただかなくてはいけません。さらには、弁証法は日常生活に使用できるものか?否かの問題もあります。
但し、説明などの補足が有れば良いかも知れません。
注3:世渡りに関しては、方便の他にも、相手によっては、ハッタリも必要な場合があります。
重箱の隅をほじくるようなことを、していただいても意味がありません。
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