参考として、かっての公安当局の高責任者や蚊帳の外の存在から
「あの時殺しておけばこうはならなかった、云々」以下の想いが人情として湧くことも考えられますが、良心を基準として、
悪を捨て善を選ばなくてはいけないのです。さもなくば、その害は己に返ってくると云うものが、霊的な思想なのです。
この世的には善を捨て悪を選んだとしても、その害が自分に還ってくる根拠はないのです。敢えて根拠を指摘すれば、
衆人のヒンシュクを買うぐらいのことです。ある程度のことは予測できます。霊的に捉えれば、私を殺すというコトに関しては。
目的は果たせたとしても、今度は、「あの時殺さなければ良かった」と云う後悔の念を抱かざるを得ない、
現象が生じ得るのです。
霊的な事象は人知では、人知では予測できないと考えなくてはいけません
因果の現象として、第三者に解かる形で起きなくても、事態とは関係のない、当人だけの悩みを抱え込むと云った形でも起きるものです。
この世的にも、世間から冷目視されると云うような応報は起きますが、霊的にはもっと厳しいものとなると思います。
殺さなくてよかったと思わなくてはいけないのです。言い訳などをする余裕が有ったなら、守護霊に感謝をしなくてはいけないのです。
守護霊はああせよ!こうせよ!などとは言いはしないのです。その時自分が何を想い、どう行動したか?なのです。その時膳なる
想いを起こさせたのは、守護霊であり悪を思わせたのは悪魔と云えるのです。
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守護霊に感謝をしていると守護霊の働きが強くなるのです。
ここのところに関して・・は、宗教でしか指導されない領域であり、不倫、背信、虚言、などと云った、心の外にある道徳の
次元で(問題として)指導されるものとは意味が違ってきます。虚言などは実社会においては、全く言ってはいけないなどと云う
ことは不可能なことでもあるのです。自分や他人を庇う方便か、他人を騙そうと思ったのかは、本人にしか判らないことなのです。
それは、守護霊の判断に任せるしかないのです。守護霊に感謝していると不思議にも間違いを起こさなくなるのです。
道徳を守ることは必要ですが、それ以前の宗教がなくては道徳は存在できないのです。
文章で表現された道徳は、必ずボロがでます。本当に(心から)
守ったか?、どうかは、問い質さなくては他人には判らないのです。人間として生を得れば、大なり小なり悪徳、
魔的な想いは誰でも湧くものと思いますが、(湧かない人も、少ないけれど全く居ないとも云えないが、
そう云う人は魂として高級であると云うことができます)悪を捨て善を選ぶことの出来ない人物、即ち神の光が少なく、
良心の働きの弱い霊格の低い人間が、有形無形の相続、その他で、この世的に大きな財力、権力などを得ると、
こうゆう事態に発展するのです。世直し渡渉するカルト宗教に逆用されることにもなるのです。
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