世の中には法律さえ犯さなければ、何を行っても良いと云った
考えの人もお見えと思いますが、道徳に関しても同じことが言えると思います。そう云う人が単なる宗教知識を得れば、
社会の矛盾を逆手に取って、妖術使いのようになるだけです。宗教や道徳の概念を文字や言葉で表現されたものと認識すれば、
同じ表現でも解釈の仕方はいろいろあり人によって違うのです。対応、対処の仕方も又いろいろ有るのですから、
逆手に取ることもできると云うものです。しかし良心を逆手に取ると云うことはできません。
ここが宗教と道徳の違いなのです。
上記をまとめれば、道徳は守らなくてはいけないけれども、道徳さえ
守っていれば良いと云うものではないのです。しかしそのように、摩り替える人もお見えになり、はたまた道徳を逆手にとって、
他人を自分の都合に従わせようとする人もいるのです。道徳を逆手にとる行為が、如何にけしからぬものであるか?は、
この事件で云えば私の自称養父の行為が如実に語っています。しかも当人は逆手に取ったなどとは思っていないのでした。
正当な行いであると思っていタのです。良心が見えなくなった結果なのです。以上に記した内容は、良心に関したもの
ですが反対側から検討したものと言えます。
ニ
良心の働きとよく似たものに守護霊の働きがありますが、何処が
違うのか?と云う疑問が生じると思います。一般的に宗教で説明されているものを紹介すれば、守護霊はその人本人に
関係する事柄に付いて、正しい方向を導いてくれる霊的な存在であると理解して良いかと思います。それに対して良心は、
神の光の一滴であり、神とつながりを持つ絆であり、その絆を(良心にも利己主義の色合いがありますので、色合いを
排除しながら源へ源へと)たどって行けば、神の心(想い)に到達する。いうものが、私の理解の仕方でもありますが
には間違いは無いと思います。
ノ
簡単に言えば神又神の想いは良心の中に有ると云うことなのです
しかし独善と云う埃をまとった良心も存在しますので、よく注意する必要があると思います。上記説明はあまりにも、
一般的、過ぎますので補足をさせていただくことにすれば、次のようになります。守護霊の働きは、現在只今、
具体的に選択を迫られているような状況にある場合、その人の現在只今の心の状況、即ち、思考や直感なども含めて、
最適の方向に導いていただける、霊的存在と考えれば良いかと思います。守護霊と言っても、この世的には自分自身ですから、
自分の心の状態に沿った範囲内でしか導けないのです。
ですから、結果に不満があっても苦情は言えません。反省する
しかありません。守護霊の働きが比較的、後から結果として感じられる事柄であるのに対して良心は前もって、
鑑に照らし合わせるような、考え方を含めた、心の中での選択を指導するような働があると思います。良心を見つめた選択を
重ねることと、色合いを薄める努力をすることにより、神に近づけるようになるものと思います。
能動的なものとは別に、宗教には祈りと云うものがありますが、祈りに属するものは神の加護を含めた助力を
仰ぐ行為と解釈して間違いないでしょう。
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