当事件に関連するカルト宗教の間違いを指摘するには、血縁的には私の
伯父に属しますが、当人は、私の養父と主張して譲らず、5年ほど前に(平成13年)他界した人物の非を認めれば、
ハッキリしてくるものと思います。これまで私は、1祖父母からの宅地の相続問題が残されていましたので、当方の
都合もありましたが、一面では彼をかばってきたのです。故人は、道楽政治や旧制学時代のコネを生かして、私の親と称して、
それらの人達に間違った情報 (親と主張するのには、あまりにも大きな矛盾が有る)を伝え、彼らの判断を誤らせ、
トヨタの一人と軋轢を生じさせたものと推測します。
自分に根源的な責任があるのに、結果のみを捉えて一方的にトヨタが
「悪い」と主張すれば、アツレキが生じるに決まっています。私に恩を着せる為には、自分の間違いを認めることはできなかったのです。
全ての不都合は、自分以外に有ると思うのであれば、精神異常者と云うしかありません。トヨタの同族のお2方とつるんで、
(つるんで、とは協力してと、云うことではなく、私の為と称して、お互いに責任のなすり合いはするが、
相手に責任を取らせることができないので、結局は私に被害が及ぶ)私を中に挟んで、負けると分かっている政治力で、
トヨタと競争をした結果負けて、私に被害が及ぶことになり、その結果は私自身の責任であると思っていたここと推測します。
ヌ
【つるむ】⇒とは、つる植物が数本、大木に巻きつきながら成長の
競争をし、結局は大木を枯らしてしまう現象を喩えた出来事⇒当事件に例を取れば、悪しき結果が自分に及ぶと両者もしくはGLA、
幸福の科、かっての公安当局の責任者をも加えれば、複数の立場がそれぞれ他を非難して、自分は私の為の行為であると、
主張をしていた可能性が高いのです。ちなみに故人がトヨタとのいわゆる切磋琢磨に勝ったとしても、私は、故人に対して
負い目を負わされることになり、(当人は自分の義務とは思っていないのだから)やはり結果的に私に被害が及ぶことになったのです。
結果的に捉えれば、あたかも両者が協力して、私に危害を加えているかのような現象を指した言葉です。
複数の立場が互いに絡み合って、司法権の行使を誤まらせた
疑いが非常に大きいのです。当事件が司法権の侵害に相当し、事件の解決ができなくなったのであれば、その原因がトヨタにあるのか?
故人にあるのか? (その他の立場は手助けをしたとしても、原因ではない)と云うことになります。故人に原因と責任があるなら、
ウラで始末されても不思議ではないかったのですが、トヨタとの関係でどちらの罪が大きいか? は、今もって私には判断できません。
しかしトヨタに何のお咎めもないとなれば、私としては故人の方に非があると解釈せざるを得ません。両者共に非がないのであれば、
私に非が有ることになってしまうのです。
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