今後3ページにわって、故人が政治力を行使した件(推測であるが)に関して
私がそのことを主張できる根拠を述べることにします。尚、警察権の行使とは、本来行うべきこと即ち、事情聴取を
行わなかったことになります。勿論、正式に届けていないから(殺すと云う言葉を聞けば、嘘でも方便でも届けておくべきなのです)
現場としては、来ようにも来れなかったと思います。結果的に権限の行使を誤らせたと云うことでありますが、警察は間違って、
何かを行ったと云う分けではではないのです。当時幸福の科学の誌友会員であった私は、GLAから幸福科学に
転進するに際して、トヨタの協力があれば、独自の立場で解決できると思っていました。
以上は幸福の科学に入会することなく、法律で解決する選択肢も
考えられましたと云うことです。内容については、一応弁護士に相談し、結果については、幸福の科学会員の杉山君に
「この世的な解決より宗教的な解決のほうが良い」と簡便に言い残しました。記述が前後しましたが、GLA、幸福の科学、
間の問題にすることなく、法律的に解決する選択肢も含めて判断した方が良いと考えました。当時トヨタ自動車とも取り引きの有った、
菅鉄工で働いていた家内に「弁護士のところへ相談に行くから、そちらからも(トヨタ)説明しておいてもらうよう、
(一方的にはなるけれども)伝えてくれ」と前置として言っておきました。
特に打診と云う訳ではありませんでしたが、私の方からのみの説明では
弁護士としても何のことか、意味が分からなないだろうと思ったからです。当事件を幸福の科学に持ち込んだのは、
私ではなくトヨタでもあり、又、何分にも推測と想像でしか説明できい事柄ですのですので、事実が存在することを前提とするためには、
良くも悪くも、トヨタから説明してもらって、最低限相談内容が存在する事実だけは、弁護士に知ってもらう必要があったのです。
さもなければ、相談すること自体が的外れになるのです。弁護士からすれば、架空の可能性がある事柄に、
相談に乗れるはずがないのです。
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