当事件を個人的問題として対処するには・・・
次の問題があり、根本要因に3つの基本的で動かしがたき間違いがあります。
1.内容の一部が存在しないのではなくて、事実そのものが存在しないとしている
2.他人が養育した者を自分が養育したと錯覚している。親になるのには
戸籍が入っていなくても、親の条件を満たす真心が無くても、養育の実績がなくても
可能なものなのか?が問われなくてはならない。
真心に付いて述べれば、人間関係において、アカの他人でも真心無しに接することは
できないのです。相互の条件を満たす真心と云う意味で、親の条件に恩を売る
真心は無い。恩の先売りなどもっての他。又、老いては子に従わない
真心?もあるかも知れない。
3.自分が生まれる以前のことを含めた、幼児期以前のことを
知らない者が、それらの出来事に関して独自の考えで論ずることはできない。
話を聞けば話した人の考え方が入っているのです。以上の観点から私の立場を
ひっくり返したり、崩すことは不可能であり。ひっくり返したり崩そうとする意志は
その意志こそが邪悪なものに基づくものと、理解しなくてはいけない。
4.当方の誤りを通知することなく、相手側相互間の問題を当方へ転嫁することは
できない。(以上に付いては法廷内で各、相手側が証人となり得るか?否か?
とは別の問題です。相手側、相互間の問題と切り離してそれぞれが
証人となれるか? どうか?と云う意味)
注;仮に(2)が成立しても(1)は許されるものではない。
したがって(1)の部分は行政的な措置をとり(2)の部分を法律的な措置
(必ずしも法廷での解決を意味しない)で対処することが、可能か?否か?の
問題である。可能であれば、(2)を先に済ませてから(1)の検討も
出来るのではないかと思う。(このようなことは私が提唱すべきことではありません。
が、当方の家族には私から説明不可能ですので、間接的に説明していただく
必要もあり、敢えて記させていただきました。
ウラでパーンとヤル事態が実現されても、私には一切の責任はありませんので
その点ご理解下さい)(1)を完結するためには誰かが、当方に結末を
報告しなくてはいけないものと思います。
|