GLAのコップの中の論理的傾向、即ち、思い違いをおこしそうなことに
予め反論として記せば、偽の救世主に勝ったとしても、その人が救世主とは言えないのです。立ち代って救世の
仕事をしなくてはならないなどと云うこともないのです。そもそも救世の仕事をしていないのだから、
(局部的には他人のためになったことを行ったとしても、間違った教え、概念を説いているのだから)何を立ち代って行うのか?です。
偽者なら誰にでも勝つ機会があるのです。救世主でなくても偽者に勝つことはできますが、救世主が偽者に勝てないのでは、
チョットおかしいと言えます。
又、偽者が「私は偽者でしたがあなたは本物です」などと云ったとしても
それは何の意味も無いのです。救世主がいなくても、悪魔が支配する(間違った教えで支配される)社会よりまだましなのです。
宗教組織の関連した不祥事は起きたとしても、不祥事として対処できるのです。対策の善非は、次の課題として取り組めますが、
有効かどうかは知りませんが、私は腐敗対策も公表しておりますtが、不祥事を不祥事として、解決ができなくなってしまえは、
終しまいなのです。勿論、不祥事を起こす問題のある宗教は、多々ありますが、意味がちがうのです。
6
バカなことをヤッテいれは、一般会員に能力のある者がいれば能力のない
指導会員を、次々に排除しなくてはならなくなるのです。無能な指導会員を一般会員が排除したなら、排除した一般会員は、
代わりに出家しなくてはならないのであっても、出家の義務もなければ、出家させる権利もないのです。
有能な人材は退会しなくてはならなくなり、人材の確保はできません。人材が足りなければ、組織は愚か者の集団と
成り果てるでありましょう。全てお見通しであったなら、一人でもできる範囲内でヤレばよいのです。
一人でもヤルと云うことは、高橋佳子自身のの教えでもあったのです。
捜査官に一言、ご注意進言するならば、尋問に対して「ボクが悪いよ」
「解ったよ」などの言葉は答えになっていないのです。ハッキリと何に関して自分が悪かったと言うのか? 根拠を聴かなくては
いけません。GLAでは自分が悪いとすることは、一歩悟りに近づき名誉なことなのです。
そうなれば責任は神が取ってくれると思っているのだから、通常の捜査と同じ様に「それだけ解っていれば、もう良いだろう」
などと結論すると後で、とんでもないことになります。私は解っているなら、取り立てて苦情を云うことはないと
思っていたいたことが、対応にが後手後手に廻ってしまったのです。騙されてはいけません。
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