部外者が篭絡される方式を語れば、次のように推定できます。
敵対する両者にとって片方に良き人は、もう片方にとっては不都合な人でもあるのです。
ですから、例え第三者から観て善良な人であっても、ある人が善良なる第三者を支持することによって、
敵対者を批判すること(云うならば、善良なる第三者のふんどしによって敵対者を批判すること)や
自分の立場を有利に展開しょうと試みることは、何の意味も無いのです。例えば「トヨタ会長はいい人だから、
お前は、わしに詫びなくてはいけない」などという言い分は意味をなさないのです。
上記手法は政治では通用しても、宗教や道徳で通用させるべき
ことではないのです。以上に付いては、最低顧問は、精神異常者(類似)であることが見抜けなかったと、
云った責任も残りますが、事情の知らない人には難しいことでもあります。
常識としては、「親でもない者が親と主張するのは我慢できない」と私がGLAの場で言っているのだから、
そのことは耳に入っていたはずだと思うのです。であるならば、間接的とは言え私に関わる以上は、
上記私の言葉を考慮しなくてはいけなかったのです。
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仮にもGLAでNO,2であると自ら名乗った人間の言った言葉だから
何か有るのではないか?という配慮が欠けた軽率な判断だったのではかいかと思います。チョット付き合いなら自分より力量の劣る者は、
大変組し易く、少し持ち上げておれば有頂天になる人間はなお組し易く、私などよりよほど好感が持てるのです。
そこで比較評価をすれば、私などは「人の道を知らない大バカ者」に見えてしまうのです。
NO,2であると前置きしたことさえ意味がなくなってしまったのです。
私としては人格者と云われる人に対してさえも、真意が理解されない事態を
維持して、トヨタの最高ご老体を長上者として敬うことは意味がなく、自分にとって不都合をもたらした者を
支持する人にすぎないのでした。ですから勢い言動もそれに応じたものにならざるを得ませんでした。
勿論ネコをかぶって、外見をつくろうことは私にもできますが、そのような行いは宗教の場で関わりが生じた意味がなくなり、
天罰を受けなくてはならなくなると思っていました。結果的には最高ご老体の不興を買うことになったのです。
以上に付いては状況、結果から判断、推理したものですのでご了解下さい。
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