当事件を司法の場で解決することがむつかしいとなれば
行政の場で、不心得のあった者に付いては、厳重注告といった形で解決しなくてはならないと思います。
そして、少なくともその結果を私に報告しなければ、解決したとは云えないと思います。それでは、
私に誰が報告するかと云うことになります。が、国家が報告するとしても内容をどう処理したかと云うことになれば、
少なくとも洗脳などというものが存在する以上又ぶり返す可能性があります。洗脳が解かれたなら、
その証拠として民事に関するものがどのように、解決されたかが必要になるのではないかと思います。
少なくても謝罪と云うものがなくては、民事に関しては
解決したとは云えないのです。(尚、公に関しては遺族の謝罪は不要と思います)
しかし民事に関することは国家が謝罪報告することではないのです。謝罪がないと云うことは、洗脳が解かれていないと
云うことになります。と云うことは又、国家の手落ちにもなるのです。このような堂々巡りは、生じないようにして
いただかなくてはいけません。さもなければ、現実にはそのようには進展しませんでしょうが、キズは残ると思います。
誰が事件の存在を報告しなくてはならないかは、私の決めることではありませんが、参考としては、
本来なら洗脳現象を諌めなくてはならなかった、立場の人だと思います。
個人的な事柄に立ち入ることになりますが、縁を切るにしても
一言くらい「お世話になりましたと」挨拶くらいしても良いだろうなどと、私を責めるのであれば洗脳は解けたとは云えません。
こうゆうことは高齢になってはむつかしいのです。代理人を立てていただくより仕方がないと思います。さもなくば
あの世が有るとして、あの世に行ってから反省の資料にしていただくしか仕方がないかも知れません。しかしそうなれば"
カルト宗教の主張が通ったことになります。
そうなれば、私としても対抗策として霊的な意味をもって、その矛盾性を
指摘せざるを得なくなります。この世的に事件を解決するためには関係の無い、個人的な事柄に立ち入って、
霊的(真実のありよう又は実相)に論議論争を続けられることになるのです。最終的に法律の場に持ち込めないのならば
この世的には名誉棄損になることでもチェクすらできなくなるのです。
この世的な責任は無視されることになりかねません。結果的にそのようになっても責任は持ちかねるのです。
注1:ここで言う洗脳とは、カルト宗教のマインドコントロールのことを
指しているのではありません。真実は、私は母方の祖父母に育てられたのですが、祖父の死後家督を継いだ伯父が
さも自分が私を養育したかの如く、親族を始、社会一般いに言いふらし、果ては、トヨタの最高ご老体にまで虚実で説明し、
ご老体の判断を誤らせ、この事件の要因となったとも言える、虚実の情報を一方的に信じる現象のことです。
注2:私と自称養父との民事に関する個人的な問題は、(第三者の介在しない当事者間の問題)平成19年3月(2008-03-31)を持ちまして。
遺族との間で解決をすませましたので、以後個人的な問題に支障は起きないと思います。
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