先のページ に記した、警察権?の行使を誤らせたのは誰か?
について、更に中身を追求すすれば、今は故人となった私の母方の伯父であり、私の称養父としょうした山口英一は、
一連の出来事に関して、故人の関わった行為は、全て私の為と思っていたのですから、そのことを非難すれば喧嘩になります。
故人はトヨタに嵌められた可能性もありますが、事実は公安が調査しなければ解らない事です。
仮に嵌められたとしても、結果的にそうなったのであり、嵌められるようなことをしていたとも言えるのです。
それは故人の自己責任と云わざるを得ません。
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自分本位にしか物事が見えないのだから、相手の真意や本当の目的が
客観的に見えないのです。特に自分を客観的に見られないから、そう云う結果になるのです。トヨタも故人を仲介とすれば、
私とのコンタクトがGLAを通さずに取れることから、都合が良いと思ったかも知れません。又、故人の持つ警察のコネクション
を警戒して都合が悪いと考えたかも知れません。いずれにしても私には関係ないことで、自分達の都合と云うものです。
双方共に私に影響が及ぶのは、それぞれの自分の姿勢によるものであることが理解できずに、ことさらに、
私の為であるかのような理由を付けていたと、考えられます。
トヨタも故人との接触を正当化していた形跡もあります。ですから
私としては、結果が出ない以前にどちらの非をも指摘することはできなかったのです。前もって予測などを云えば
悪しき結果がもたらされると、断言することと同じことであり、相手を信用していないと言っていること同じになるからだからです。
両者が私に断りもなく勝手に、接触を持って何事かを行う必要が有ったならば、両者の義務であると捉えなくてはいけなかったのです。
私の為であるなどと、その意義を摩りすり替えるから間違った結果をもたらしてしまったのです。
私には迷惑千万なこととなりました。
元々トヨタは私を殺す必要もなければ、殺すこともできは
しなしなかったのです。言葉で殺す、殺される、などと、公然と言い合っている間柄では、余程、現実的に切迫した問題でない限り、
何もできはしないのです。私はトヨタが方便を使っていた捉えていましたので、お返しに私も方便を使う必要が生じたまでなのです。
そのことが故人には理解できなかったのです。トヨタは変人奇人ではないのだから、「殺す」と云う以上、何らかの意味があるはずです。
その意味の解釈が間違えば、言葉が言葉であるだけに結果は、重大なものになります。そのことが、
故人には解っていなかったのでしょう。
知能が低い分けではないのに、自分本位の見方、考え方が
客観的真実であるように思い込むのです。自分本位の思い込みから、ウらで勝手な行為をすれば、実際にトヨタに私を殺す
意志があったとしても、私からは、警察に訴えられなくしてしまうのです。結局は、自称養父に頼らなくてはならなくなって
しまうのです。実際に彼を頼らなくても済んだと云うことは、トヨタと私の方便でのやり取りだったからと言えるのです。
実害と云う面では事なきを得たのですが。方便でも警察に訴えなくてはいけないのです。ウラでコネクションを
利用すると云うことであるなら、故人が警察に報告してから、行わなくてはいけななかったのです。
何故、故人がトヨタの魔手(魔手があったとして)から私を護ってきたとして
、恩を着せられ感謝しなくてはならないのか?(証拠はないが気配を感じる)理解に苦しみます。故人の自分本位の理解による言動を聞けば、
人格者と言われるような人なら、親としての自覚があるのか?と懐疑の念が湧くことでしょう。
故人はトヨタ試されたのではないのか?(自覚を促されたのではないのか?)調査しなくては判らないことですが、
誰彼の見境もなく私に恩が有るような言動をすれば、試されても仕方がないのです。そうゆうことも有り得ると私は、
推測しているのです。但し、ムヤミニ試すことは本来なら良くないことです。
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