カルト宗教の幹部には高学歴の人も多いので、社会の基幹分野に
進出した同窓生など、知り合いも多数存在することと思います。であるならば、当方の事件に関して、何ら解決する方策がない
ならば、類似事件が発生しても何ら対策が取れないことになります。被害者が加害者に出向いて、詫びなくてはならないようになっては、
世も終わりです。当事件も、当時のGLA中京本部事務局長、中野富敏が、私に詫びたいことがあるから
「こちらに出向いて来てはくれないか?」と云った宗教指導者として、あるまじき示唆を受けたことから始まったのです。
言葉による言質を伴なったものではありません。示唆でしかできないことでありましょう。以上は、
独裁者が、(独裁者の意識を持った組織のワンマン運営者を含む)目下の者に対して行うもあります。
しかし、被害者が加害者に出向いて、詫びなくてはならない
ようになっては、世も終わりです。「謝りたいから、こちらに来てくれ」と云う言葉については
宗教指導者でなければ、あまり褒められたことではないにしても、一般社会ではよく見られることであり、
特に咎められることはできないと思います。しかし、しかし法律や道徳に反するものは咎められなければなりません。
真実を教えとする宗教の場では、本当に悪かったと思っているのか?と云いたくなります。本当に悪かったと思っていないなら、
唯の考え方の違いでありますから、私は無理に謝ってもらう必要はなかったのです。又、自分は神の使いであり、
会員から崇められるべき者であるとしたい、彼のパホォーマンスの手助けをする必要もなかったのです。
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パファーマンスではこの世に佛国土ユートピアなど築けないのです。
このような者が改心することなく、神にへつらい、それが通用するのであれば、神の名の下にこの世に独裁者が生まれます。
ノストラダムスの予言が先送りされて、実現することになりかねません。くどいようですが、当方の事件は、
はじめに又は根幹にカルト宗教があるのです。神に祈っても精神異常者は治りはしないのです。ここで私が負けることは、
カルト宗教が勝つことでもあるのです。再度お断りしておきますが、国家公安が叩きたいのは、GLAではなくて幸福の科学ですから、
私が法律的にGLAを潰すとはできないのです。(2006年3月時点では)
私個人としては、勝ち負けは利害損得、面子の問題であって、
仮に謝らなければ謝り、後になってから状況に応じて、「あの時は方便で謝った」と言い訳ができるのです。報復もできるし、
しなくても良いのす。本当に私が悪かったのであれば、非を認めることもできるのです。前もってあれこれ指摘するのは
思い込み勘違いなどによる、無益な摩擦を避けるためなのです。この世的には人権侵害の被害者で、不自由の極みですが、
霊的には面子体裁さえ気にしなければ、私は自由自在なのです。全て霊の存在を主張する組織が関与して起こした出来事なのです。
解決できないなどと言っていてはカルト宗教のお手伝いであり、太刀打ちできません。
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