▲カルト宗教とは超能力所有者の教説を指すのではなく
例えば、公安の長はミカエルであるなどとする伝説を、現実社会に当てはめることです。私はそのように解釈します。
但し、単に言うだけなら是非は問われても、問題は起きないでしょう。
又、現在只今、現実の社会で生存している、ミカエルの魂とされる人が誰それであっても、現在只今の社会状況に応じて、
この世では誰それとして、この世のルールに従って生きれば問題は無いものと思いますが、
伝説そのままに公安の長としての権限があり、霊的にはその権限を行使できるのであり、その権限を霊的に行使すれば、
霊界とこの世は表裏の関係にあるから、必ずこの世に現象として結果が反映されことになり、
事実上ミカエルとさされる誰それがこの世に於いても公安の長である。などとする教え?
がカルト宗教の根幹をなすものと私は考えます。
霊的にミカエルが公安の長であるとするならば、この世に生存する
人々の魂としての名前(霊界での名前)や過去世の名前の変更は、霊的には自由自在と言えます。
この世のルールで説明(この世的に理解できる理由を付けて説明)しなくてはいけない⇒
すると霊能力の信憑性が問題になる?⇒出口王仁三郎が弘法大師の生まれ替わりであるとする、本も読んでいます。
又、私より先にGLAを退会した人で、九州地方の真言宗の僧侶がお見えでしたが、
多分その人も自分が弘法大師の生まれ替わりと言ったかも知れません。霊道は開けていると云うように捉えても異論のない人でした。
又、弘法大師は神の代理人と云う絶対者でもありません。
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宗教の絶対者とは独裁者を指すのではなく
宗教的な間違いを絶対に起こさない人を指すのでなくてはなりません。間違を犯しているにも拘らず、
認められなければ独裁者と同じになります。宗教的に間違っているか、どうか?を検証するには、
愛や慈悲の概念を正しく認識しているか、どうか?やその言行が真理に適っているか、どうか?であり、
真理を検証するには道理に適っているか、どうか?であり、行いを検証するにはさらに、筋道や手段や手順も
検証されなくてはならないでしょう。私から云う必要のないことですが、方便が通用するのなら、過去世の認定は無名の人でも、
何ら差し支えなかったのです。
▲事の解決を行政的に行うのであれば、良識の問題に摩り
替えられる恐れのがありますので、霊的因果を含めて、洗いざらしに全てを話した方が良いのです。
勿論中には不必要な事もあるでしょうが、必要な事か? 不必要な事か? は当事者が決めることではなく、
審判者が決めることだからです。司法の場で解決するのであれば、法律に関係することのみを言えばよいと思います。
参考までに・・。当Webページに記す事件については、無理をしないでスムースに、
行政解決など最初からできない相談だったのです。行政解決は、無理を覚悟でお行っていただかなくてはならないのです。
日本の関係者はシッカリして下さいよ!ホントに !
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