トヨタの最高ご老体(2007年現在生死不明)の批判について、関係者の中には
その批判自体を非難する方も居られましょうが、自分の敵に属する領域に入ってしまった人の批判を、他人に、
(例えば幸福の科学など⇒批判を行うだけなら誰でもできるのです。コップの中の批判では駄目なのです)
お任せしなくてはならないようでは、どうして、他からの影響を排除できますか? 私は自らの力で批判を行い、
他からの影響力を排除致しますので、そのようご理解下さい。
いささか立場が反対からの記述になりますが、私の養父と称した故人の
声無き言い分を記させていただけば、トヨタ会長は良い人であるから、
あのような人がいる間に(最高権力を所有している間に私が)彼(自称養父)に詫びを入れて彼との関係を正常化し、
さらに、彼が私をご老体に仲介することで、ご老体とも正常な関係が持てるようになるのだから、ご老体を非難するなど気違沙汰であり、
それのような行いから、後釜に殺される危険が生じたのであり、自業自得というものであるとするようなものがあります。
しかしこの言い分はよくよく考えてみればおかしいのです。
ご老体が良き人で、後釜に危険な要素があると思ったなら、故人の
方から私に侘びをいれて、私にご老体の方を仲介しなくてはいけないのです。ご老体としては、故人の理解が得られず、
それを実行できなかったのであれば、GLAの谷口健彦に苦情を言わなくてはいけなかったのです。それも不都合が生じるのであれば、
最後の手段として、ご老体の方から、私に直接コンタクトを採らなくてはいけなかったのです。
故人を反対の認識に導いた一端の責任は、ご老体にも有るものと思いますので、ここのところをシツカリと押さえて、
あの世に行っていただかなくてはなりません。さもなくば迷いの一因にもなります。
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