私と自称のアツレキは、大略、他のページに記してきたようなものですが
以前のページにも記したこともありますが、「実の親以上のことをした」と云う言(単なる言葉ではなくて彼の言い分)に付いて、
私は、当事者ですので、その内容の欺瞞性を見破れもし、打ち破れもしたが、第三者が聞かされた話であれば、聞かされた人は、
見破れなかったと思います。自分に偽っていれば、他人にも偽っているのです。他人に嘘と自覚しない、嘘を言っているのと同じことなのです。
被害をどうしてくれると言うのだ!
そもそも、親の愛などと云うものは、真偽を見破るとか?見破られて
不都合か生じた、などと云う性質のものではなく、仮に間違いが有ったとしても、それでは、親を止めるなどと云う
性質のものではないのです。詭弁を使えば、私の実の親、特に父親は親らしいことは何一つ行っていないのだから、誰であろうと、
実の親以上のことを行ったと言えば言えます。しかしこう云う詭弁は、心情は勿論評価をも害するものであってマイナスなのです。
ゼロ以下なのです。自称養父の、こう云う反論があることは以前より十分知っていました。
又、方便としてなら何事に関しても、一定の限度内で可能です。
8
彼が不可解で不愉快な言動を行う時は、殆ど周囲に誰もいない
一対一の時なのです。自分にやましいものがなければ、正々堂々と衆人の前でも言行できるはずです。おかしなことなのです。
さらに云えば、失われた功績に関しても、行政で回復できる道も残されていたのです。司法解決なら功績はゼロになる
場合も考えられますが、行政解決ならゼロにはならないのです。何故なら、行政解決は取引に相当するものだからです。
私は資産相続権にこだわって、罪なき遺族(罪があるか?ないか?は公安の決めることで、私の決めることではありません)
をいじめようと云う目的で、このようなものを記しているのではないのです。
勿論司法解決でも功績はゼロであっても、個人的なものは慰謝料などで
償われるものと思います。何回でも記させていただきますが、このような個人的な事柄に属することを、
洗いざらいに、ホームページと云う場で公表するのは、非常識であるとのご意見もありましょうが、法律で解決できるものであれば、
このようなことは法廷で述べれば良いことですが、行政で解決するということであれば、公開の場で、
洗いざらいに審判者に知らせなくてはならないのです。さもなくば間違った判断をもたらす可能性があるのです。
行政で解決すると云うことは、国民の了解可能な手段でなくてはならないのです。私はそのように考えますのでご了解下さい。
▲暁の小道メイン
▲MyHistory
▲木洩れ日の空間 ▲不老の湖畔へ戻る
|