GLA教祖高橋佳子は女性の特徴でもある、愛と云う概念を正しく
認識しないままに、概念の持つ美しさ、例えば愛は真実そのものであり、如何なる存在も愛を遮ることはできない等々に惹かれて、
現実の自分を見失った感があります。俗語で表現すれば愛にカブレテいた傾向があると言えます。
カブレから出る愛の想いは真実の愛とは言えないのです。責任の軽い一般の人であるならば、愛に限らず何にカブレテも
限度を超えないものであれば咎められるべきことではないと思います。
しかし彼女は悟りを開いた結果、自分がミカエルの魂であると判り
(悟り)神の代理人としての自覚をもって、この世に愛を説き、愛は何物もさえぎることができないのだから、
仏国土ユートピアを建設することも可能であると宣言して、多数の人々にそのことを信じさようとした人間なのですから、
愛の概念を間違って捉えたのであれば、(カブレタと云うこと自体が、間違って捉えた現象と言えるのです。、
真摯に捉えれば、カブレルと云う現象は起きないのです)その責任は一般人と比較されるものではありません。
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彼女が上記宣言した内容については、概念を言葉で表現しただけのもの
であるなら、さしたる間違いは無いのです。真実の愛ならば、何物も遮ることはないと云う概念自体も真実なのです。
その概念を身近なものから実行できるように指導し、その波の輪を内側から外側に広げて行けば結局は、
全ての生とし生きる存在が愛に満ちた、世界を現出させることができるとする、概念も間違ってはいないのです。
では何が間違っていたか?と言えば、一つには彼女はミカエルの
魂でもなければ、神の代理人でもなく、悟ってもいなかったと言うことです。要するに偽者だったと言うことです。
それは図らずも彼女自身の言葉によって、帰結された事実ですので、彼女自身誰を責めることもできないものと心得ます。
言っていることに間違いがなく、結果に間違いが生じれば、彼女自身が偽者であったと証明されたと云うことです。
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