GLAに関しては、マインドコントロールによる弊害も
幸福の科学よ少なく悪徳行為に相当する行為も殆どないのだから、GLAの批判は、死人に鞭打つようなこととも受けられれかねませんが、
自らを救世主と位置づけていた者は、中東の宗教がらみの戦争については、解決の手がかりさえも見えない現状を省みれば、
自分がどういう人間であったか判るはずです。2020年には世界は神の国になると言っていたのです。高橋佳子の言葉が実現するには、
現在中東問題に代表される世界の紛争地域は沈静化傾向になくては不可能なのです。仮に奇跡が起きたとしても、
政治体制を整えるなどの後のことがあります。
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現在ではGLAの会員ですら、上記現象が起きるとは
信じていないと思います。しかし絶対者としての彼女を信じている人は多いと思います。つまり、キャチフレーズとして、
神や平和を利用していたことになるのです。偽者なら独裁者と云うことです。これがカルト宗教の本質なのです。神や世界平和をキャッチフレーズとして
自らの権力拡大を志向している団体はほかなもあるのです。しかもその団体はGLAと長期にわたり対立状態に持続しているだけで
何ら改善される様子も決着がつく気配もいのです。しかし、お互いの悪いところは取り入れている様子です。
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反面幸福の科学がGLAを併合するようなことがあれば
独裁者が誕生する可能性もあるのです。カルト宗教の実害を公開できる私は、両団体から自殺に追い込むなどして、命を狙われる可能性もあるのです。
GLA教祖高橋佳子そのものは、詐欺まがいの行為を行うとか、卑劣な行為を行うと云ったような、悪党的な要素はないのですが、
自分自身を神の権威を行使できる人間であるかの様なマインドコントロールをにハマって始末が悪いのです。悪党以上の悪、即ち、
矛盾の教えを垂れ流していると言えるのです。
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具体的には、自らを人間一般の魂の向上を指導する使命があると
位置づけ、手段として(1)に、里芋の皮をむくように、一つの樽に入れてこじると云うものです。いわゆる彼らの云うところの切磋たくまです。
(2)は魂の優れている者はさらに高めるためには、低いものを砥石のように使ってさらに磨きをかけると云うものです。これは口実で内実は自分に忠実な者、
意に添う者には甘く、忠実でない者には厳しくなるのです。何故そのようになるか?それは人間だからです。神ではない証なのです。
「頭隠して尻隠さず」なのです。これがいけないのです。
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人間は平等であるとする観点からすれば、上記内容の指導行為が
できる資格など人間にはないのです。悪いものを生かすのは結構ですが、悪しきを容認してはいけなのです。生かすことと容認することのすり
替えが行われているのです。(3)には神の権威を維持するためは霊子が切れなくてはならなくなるのです。即ち、脅迫が存在しなくてはならなくなるのです。
人間に上記指導行為を行う資格はなくても、自然現象は一面の真実でもあることから、神の権威をもちだせは不可能ではないのです。(
4)に、では彼女は神か?と云うことになりますが、客観的には、豊田章一郎氏をはじめ一般人は、誰一人として神と認める人はいなでしょう。
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しかし、本人が神(神の権威を行使できる)と想っていることを
罰することは誰もできないのです。例えば、例え気違いといえども気違いであることは、罰することはできないと云う意味。
神の資格の主張を罰することができなければ、現象として現れた事態を罰するより仕方がないのです。(5)高橋佳子は、公安当局に謝罪する道は残されています。
詐欺などの悪徳行為に該当しないから、未だ思想の間違いに留まることができると考えられるのです。公安当局は彼女の謝罪があればね最低限私には報告する
義務が生じるものと思われます。社会的に捉えれば高橋佳子はすでに、幸福の科学大川総裁の敵ではなく死人同様な状態と言えます。
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幸福の科学は、私がGLAを叩いたから、漁夫の利を
得たとも言えますが、本来は自分で死命を制さなくてはいけないのです。(生命のことではありません)私の行ったことは全て、見かけ上のことで、
問題をまだ残されているのです。残されたものは全て国家公安の仕事になりますが、各所に不可解な現象が生じるのです。
「後ほどに述べることになりますが心の対話に関連するものです」「心の対話」の闇の部分に関しては、一人GLAのみならず、
幸福の科学も恩恵にあずかっているとしか考えられないのです。
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死人(行政的な解決の阻害になるとは思えない)に鞭打つような行為と
受け止められる方も、お見えかと思いますが、当方としましては、GLAを差し置いてトヨタその他を非難する訳にはいかないのです。
幸福の科学にしても宗教のことは宗教で解決すると言っておきながら、私が頭越しにGLAを叩かなくてはならないこと自体が、おかしいと言えば言えるのです。
娘の純子の先祖供養の祈願も全然効果はないのです。中東の宗教戦争関連の言及にしても、所見だけなら誰でも言えるのです。私の知人でも言えることなのです。
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真実、言及した言葉に神の力が宿っているなら、多少は何とかなると
思うのです。(当人達はそのように想っているとしか理解できないのです。中東戦争は仕方がないとしても、一事が万時全て言及するだなのです)
宗教は政治ではないのだから、勢力争いで勝っても勝ったとは云えないのです。そのお手本が中東戦争とも言えるのです。お手本のように、
行えばお手本のようになります。私としては事件が解決していない以上、GlA関係者の非難を差し置いてトヨタやひいては幸福の科学、故人となった、
自称養父のみを非難することはできないのです。ご了承下さい。
2006年08月03日⇔楽天ブログより再編集
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