家内との争いに関して述べることにします。私は心理学の知識も
持ち合わせておりましたので、家内の気持ちも立場も、それなりに理解した上での争いでとなりましたが、家内の結婚相手が、
心理学の知識など持ち合わせていなかったら、どのようなものになったか考えていただきたいと思います。ストレートの争いに発展します。
勿論相手にもよりますが3,4,回の争いで結末になることは容易に想像できます。
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しかし、幸運に恵られれば、おつむも性格も弱く、論点のすり
替えられた言い分にも、違和感を感じることもなく、従順に従い、経済的なことに関してはロボットのような働きであっても、
不都合さえ起こさなければ、十分であると云うような相手としか結婚生活は成立しなかったもの想像できます。違和感を感じても、
主張(口答え)される論点の矛盾を指摘できる能力のない人は、怒鳴ったり悪態をつかざるを得なくなるのです。計算の入らない、
むき出し怒りでストレートに争うことになると言いたいのです。
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正常な宗教指導においては、責任の一端が自らにあるものに付いては
その環境を克服していくことが、その人の魂の修行であると云うことでありましょうが、自分自身の間違いから生じた、
責任が自覚できない人と共同生活を行わなくてはならない人は、決別するか、ホローをするか、二つに一つの選択をすることになるのです。
私には、家内をホーローする能力があったから破綻することなん済んだと言いたいのです。
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上記の私の言い分は、家内には、到底納得しがたいものであるのです。 >
それを主張すれば大喧嘩になると云うことなのです。と云うことは私は、何処までいっても、本音を主張することはできないのです。
人権侵害に相当するものなのです。要するに本末転倒になっているのです。当事件がその事実を如実に示していると考えられますので、
事件の真相を明らかにすれば、どちらの言い分が正しいか?も明らかになるのです。その事実もは、私にとっては、
インターネットで事件を公開しなくてはならくなるのです。
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GLAに源を発するトヨタの過ちがなければ、家内も云うならば
ロボット的な仕事はこなしていたのですから、家庭に関する精神生活上の被害は、相乗的に無に帰すこともできたと思われます。(差し引きが合う)
そもそも家内が私を信じなくなった原因も、そこにあるのです。信じることができれば、六感、感性が悪いことはカバーできるのです。言い換えれば、
不信感を捏造するのでは、その宗教の本質が問われなくてかんせいがはいけません。私は家内から、子供が家内に「あのような人と結婚したからいけない」
と苦情を云われたと苦情を云われました。
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もし、家内が子供の言葉の通りに、他の人と結婚していたら
苦情を云った子供そのもの人格(魂)はこの世に存在していないのです。平気な顔で苦情を取り次げる問題ではないのです。子供については、
ある程度はこちらの立場も説明しなければ、子供自身が、板ばさみになっても仕方がなくなるのです。インターネットでの家庭の事情のこうかいは、
考えられる帰結を予めふせいでいるのです。いわばマイナスのカバーであり。慈愛に相当するものではないかと思います。
但し、他の面からとらえれば自分のために行っていたのです。宗教的立場から慈愛を念頭にして行ったのではありません。
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うがった見方をすれば、仮に私がウラでトヨタ方式により殺される
ことになっても、家族(幸福の科学会員)は黙認するのか?の問題が残ります。当局は、家内との争いを知って知らぬ振りをすれば、
名義人を家族にする下準備か?と云った言い分も可能になるのです。 又殺されなくてもこのような事態を何故黙視するのか(したのか)?私が、
祈れば解決するのか?の問題も残ります。又国家公安は特定の個人をダシにして、(下からの協力)問題解決を行うことは許されないのです。
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