何回も述べることになりますが、この事件に関して当事者である
私は誰に対しても、事実の存在の真為を問いただすことは出来ません。と云うことは問い正す以前の問題としても、
事件に付いては、事件の存在を知らない人には、一方的に話すことができますが、知っている人には話すことができません。それは、
正直に事実を答えてくれると云う保証がないからです。正直に答えてもらえると云う保証があれば、コチラからでもカクカク
シカジカの事件に自分は関わりを持っています。と、切り出して話すこともできますが、保証がなければ、
もし相手が白を切って事件の存在を否定すれば、相互不信感を創ることになり、場合によっては険悪な関係になるのです。
公安、家族を含めた、蚊帳の外の責任を追及しなければならなく
なるのです。一旦醸成された不信感や、創り出された険悪な関係は、事件が解決されない限り永久に続くのです。ですので、
この事件に関連した事柄に付いては、例え間接的なものであっても、前もって事件の存在を認めていただかなくてはならないのです。
又、ことさらに、話し合うといった要件が存在しない場合でも、多数の人々が集団で会合、行事などを行う場に出席すれば、
私は見世物のような立場に置かれるのです。そして、光の部分は覆い隠され闇の部分のみで、人前で大きな顔ができる分けが
ないのですから、必然的に、小さくなっているより仕方がなくなるのです。
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以上を勘案していただけば、私からこの事件を能動的に対処して
解決することは、むつかしいけれどもヤレば、出来ることではなくて、出来ないことなのです。
勿論、他の件に絡んで、話を切り出さなくてはならないような状況に追い込まれれば、結果として険悪な関係がかもし出される
と予想できても、正当防衛として私は、話を切り出さなくてはならなくなります。
腹黒い想いや正当化(正当防衛とは違います)に起因するもので
思考錯誤を行えば、疑心暗鬼が増すのみで、如何に頭が良くても何時か何処で間違うのです。しかし宗教理念に関する、
勝ち負けなどには、負けても一向に差しさわりのない人も、大いに差しさわりのある人もあります。
GLA教祖の高橋佳子などは、大いに差しさわりがありましようが、良心を無視して押し切ってしまうのであれば、
超能力などは完全に消えうせ、代わりに良からぬものが、化けの皮を破って現れてくるものと思います。
ご注意いただなくてはいけません。疑心暗鬼にならないと云うことは、お人よしになれと云うことではないのです。
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