本物の概念について、私の例を取り所見を述べさせてもえば
カルト宗教の救世主と称した教祖の矛盾を指摘できて、例え論理的に勝ったと云えても、私は霊の存在を認める者として、
誰がしかが、救世主であったとしても、本物だと主張する(認定する)意志もなければ、必要もないのです。
間違っているかも知れません。あの世では、偽者には、論議の場で、誰でも勝てなくてはいけないものと、思いますが、
あの世にもマインドコントローがあれば、必ずしもそうとは断言できません。あの世のことは行ってみなくては解りません。
確かめるために行くつもりもありません。
注1:マスコミは偽者だと言う建前で報道はできないと思いますが
本物だと云う建前なら報道しても良いのではないか?と思います。法律に抵触するしないは別問題です。
民意をコントロールすることはできても、民衆に背く正義などありえないのです。正義を内包しない教えなどおかしいのです。
正義を謳い民衆に背くのもおかしいのです。誰のための教えかが問われます。悟りの方が重要だ!
と云うなら勝手に悟っていればよいのです。
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注2:前提条件を変えることは、霊的にもできるかも知れないが
しかし道理など変えることはできないと思います。あの世には道理など無く、想いだけが存在するなら、
想いが変るのには何らかの条件がなくてはならないとおもいます。条件が変るということは何か・・。
想いにしろ現象にしろ、常に水の流れのように変化しているものです。変化させる何かは条件が、又、
水の流れのように変化しているのではないのか?条件が変るには、何らかの原因がなくてはならない・・・。
条件が変るのではなくて、異なる条件のところに想いが跳ぶのかも知れない。頭がおかしくなります。
とどのつまりはこの世のルールで行くしかないのであり、それが
注3:霊的に見て、この世のルールのみでは、いけないと云うことも有るのであれば、大変なことになります。
上級霊、下級霊の表現は、相互関係を前提をしていますので、前提条件、即ち状況や相手によって変るものです。小中学生の成績表に
例えれば、評価2の人と4の人を相互的に捉えれば、評価2の人が下級霊で、評価4の人が上級霊です。前提条件が
変ると云うことは、評価2の人が他の空間へ移動して、新たに評価5の人が入ってくれば、今度は評価4の人が下級霊になる
のです。評価4の人は本当は変っては居ないのに前提条件が変れば、外部からは変ったとしなくてはならないのです。
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