GLA、幸福の科学の調和を調停していた人がいるなら
真の調和か?どうか?確かめてから判断してください。思い込みとは言え、一種の信念に属する問題ですので、
通常の調停の要領ではむつかしいと思います。私が関係していれば、相手、相互間の非を双方協調して私に向けることもできますが、
関係がなくなれば、それはできなくなるからです。又、真に調和していても、
私が、関係を維持しなくてはならない義務はないのです。
彼らの協調を確かめるには、私との関係が無くならなくては
できないと思います。口先だけの協調なら、回答も口先だけで、答えなくてはならないのです。
彼らの協調と私との関係は意味がないのです。(個々の関係なら意味があります)調和したと主張する者に、
それは違うなどと言える訳が無いのです。間違えた決定をされては困ります。谷口の件についても、証拠のない具体的なことに関して、
(トヨタへの紹介の件)お礼を述べることはできません。抽象的なことでお礼を述べることしかできないのです。
レ
例えば、トヨタから金一封をいただくことになり、自称養父などが
預かっていたとして、ありがとうございました。等と御礼をのべれば、もし他のことだったら、
「金一封を差し上げなくてはいけなかったかなあ〜と」受け取られかねないのです。赤恥をかかなくてはならなくなるのです。
気配でお礼など言える訳が無いのです。ウラで行ったことに関しては、こうこうこのようにしましたと、告げて貰らはなくては、
どのような行いも勝手な行為にすぎないのです。勝手に愛の行為と決め込まれては心外です。
この事件の発端となった行為も、おそらく谷口健彦が陰徳の
つもりで行ったことだろうが、こちらからは、上記事情がありますので、抽象的で間接的にしか応対はできないのです。
一応お礼は述べております。そのくらいのことが解らなくて、宗教指導者と言えるか?自分本位にしか、
物事の理解ができないような状態で霊道を開けば、おかしくなるのは当たり前まえなのです。陰徳の意味が理解できていないのです。
子供に無断で貯金するのは陰徳ですが、それとこれとを混同してはいけません。
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