前置きとして、警察は自己責任を果たしたと云う意味もあって
生命など、警察の管轄に属する危害が及ぶと云うことは最早ありません。功績を記すならば、
現場の烏合の衆の総意によってと云うことかも知れません。家内は依然として、私に対して何も存在しないと云う立場を取るのです。
取らざるを得ないとも云えますが、常に相手側の肩を持つのです。そうするより仕方ないのかも知れませんが、
私としては対処能力を問わざるを得ません。小中学生程度のことしかできないのなら、他事に関して大きな態度を取られれば、
腹が立ちます。だから言い争いになるのです。
争いになれば、家内は自分の立場を守るために、証拠として
人権擁護委員会の無しのツブテの件や、幸福の科学でかって言われた「調査したところで何もでては来ない」
の言葉や娘達の言葉をそのままに、反論として使用主張するものです。それに対して私は何も反論できる証拠を持たないから、
だから家内は自分の言い分は正しいと思い込むのです、私にとっては、最大の障害になっているのです。
国には、ここを解決していただかなくては、一歩も前進しないのです。関係者には宜しくお願いします。私としては、
家内が事件の存在を認めても、家内に具体的な解決を要請する訳ではないのです。
要請しても何もできはしないのです。しかし障害にはなって
もらっては困りまりますので、説明はしなくてはならないのですが、説明すれば争いになるのです。
家内は、言葉通リにしか理解ができいから、自分が納得できないだけなのです。対処する能力がないとも言えるのです。
気配とか様子に適正に対処できないから、言葉通リにしか対処するしかないのかも知れません。しかし、それも、
私から問い質せる性質のものではありません。能力のない者に能力以上のことを求めてはいけないのです。
納得しない者を納得させることはできないのです。
誰か知りませんが、私を怒らせてはいけないとなどと、アドバイス
されているかも知れませんが、真意を理解していなければ、当人にとっては単なる理不尽でしかないのです。
結果として出来上がった構図について言えば、家族全員が束になって、私の言い分を封じると云うことは、
人権侵害以外の何ものでもないのです。インターネットで実情を知らせてはいけないのであれば当然そうなります。
ちなみに、家内の言い分は子供達の幸せは最優先しなくてはいけないのだそうです。「ハイそうですか?」
と引っ込む訳にはいかないのです。
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