例え宗教指導者と云えども、他家の家族内のメンバーが、互いに虚実を抱いて
調和して暮らすことを、指導するなどと云うことは不可能なのです。事実を明らかにして信実を追及するならば、宗教指導者自身にも責任が生じるのです。
道理からすれば当然のことです。しかし、当事件に関しては、事実の否定がされることは明らかなのです。何故なら、宗教理念が無視された、
勝手に創りだされた霊的因果を基にして、権威を維持しなくてはらないからです。これをカルト宗教と言うのです。
又、私が死んでからならば、全て解決できると言うことであれば
何故生きていては解決できないのか?その根拠を示していただく必要が有ります。又、既に故人となった自称養父に鞭打って(全責任を転嫁して)
生きると云うことであれば<その根拠を国家公安当局には説明していただく必要があります。尚、カルト宗教に入れば、カルト宗教の権威があり、
トヨタ系列に縁が生じれば、トヨタの権威があると云うことになります。カルト宗教の権威は、霊的に捉えれば神の教えとも取れば取れます。
唯、勝手に創りだせる権威なのです。片方の手で解決を妨害していながら
解決できないのは、神の権威に従わないためだとしているのです。創作された神の教えで、ユートピアが建設できますか?この事件も組織犯罪として
扱わなくてはならなくなったのではないのか?人質の件(論理的に拘束された)を勘案すれば、
個人問題としての解決は、最早不可能ではないのか?しかし、背景は説明しなくては衆人の誤解を招くのです。組織犯罪とするか?しないか?は、
あくまでも公安の判断に委ねられるものなのです。 2007年01月12日⇔再編集
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