GLAと幸福の科学は原理的に決着は付けられない




GLAと幸福の科学が調和できない理由は、先のページで記しましたが
どちらが本物か?と云うことに関して、2者間の決着も付けれないのです。ここで言う決着がつけられないとは、付ければ付けれるけれども、 付ける意志がないとか、力量が互角で付かないと云うものではありません。原理的に決着をつけることはできないのです。決着をつけるには、 相手の間違いを指摘して納得させ、自主的に教義、教導を放棄させなくてはいけないのです。 

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自主的な放棄を説得しても、納得させられないならば、相手の教義は
間違いでありそれが原因で、カクカク、シカジカの弊害をもたらしたとして、法律的な手段で決着をつけるしかないのです。しかし、具体的な弊害が指摘できず、 唯単なる、教義の間違いや矛盾の指摘だけでは駄目です。弊害が指摘できない理由は、宗教的な弊害は、物質的なものであっては意味をなさないのです。 猿芝居でも実質的な被害が生じなければ、罪に付すことはできないのです。

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教義が霊的なことに根ざしていることは良いとしても、霊的な事柄を
と単なる教説上の問題として、この世的因果関係と、別個に扱うことができない状況を捏造してしまえば、法律では解決できくなるのです。となれば、 残された道は、唯一つ相手を殺すしかないのですが、この世的手段で人殺しはできません。霊的手段で相手を殺さなくてはならないのです。超能力で殺せるか、 どうかの問題ですが、互いにその能力を否定はしていないはずです。実際にある、なしに拘わらず、否定すれば屈伏しなくてはならなくなるのです。

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自分のために相手を殺すということは、愛の行為に反するのもですので
宗教を標榜する者の行うことではないのです。霊的にも赦される行為ではないのです。大変な良心の呵責を受けることになります。 人殺の示唆以外にも「地獄に堕ちる」などと脅迫するものもあります。極端な脅迫は受けた者にストレスを生みます。相手に1矛盾があるとの論理で挟まれ、 ストレスの解消が不可能になれば、生命は死ぬ場合もあるのです。要するに殺せるのです。

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良心の呵責を受けるような心の状態で、人殺しのできるような霊能力は
生じないとする考え方は正常な精神の働きです。しかし、錯覚にしろ世界平和のため。霊的な社会をこの世に具現すると云う大義名分を、本気で想っている以上、 良心の呵責は受けないのです。気違いが自分が、気違とは自覚できないことと同じなのです。しかし、霊的な社会をこの世に具現するためには、阻害する者は、 霊的に死ぬ運命にあるなら、脅迫にはならないのです。

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結局は、どちらが真理を指しているか?と云う問題になるのです。
神に委ねるしかないのです。人類の為世界平和の為ならば、良心の呵責は免れるかも知れませんが、結果が出せなかったら偽者であり、 霊的手段で人殺しのできる悪魔と言わざるを得ません。暗殺の対象とされても仕方が無いのです。但し、正当化によって、良心の働きが阻害されないことを 前提としたものでなくてはいけません。正当化も、無意識の領域で良心の呵責を受けるものならば別です。

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GLA&幸福の科学が、自分達の抱える問題が解決できないのでは
中東に象徴されるキリスト教とイスラム教の衝突を原因とする紛争も、他の原因による紛争も解決できる分けがありません。したがって自らの手で、 世界平和を築くなどたわ言にすぎないと言えます。となれば、自らは神、又は神の代理人又救世主、地球人類の主であるなどの姿勢を貫くならば、まやかし、 の言行言わざるを得ません。私は、宗教を知る者の謝罪は、利害損得を目的としたものではなくて、良心の呵責を避けるためなの認識しております。

2007年03月01日⇔再編集

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