私は本人(相手)に謝らなくてはいけない。その他さまざまらことを
述べてきましたが、何一つとは云わないまでも、当然ながら云った通りにはなってはいないのです。
警察がミーラを取りに行ってミーラになっては駄目なのです。警察は国民の警察で個人的なものではないのです。
インターネットで記している事件が、解決出来なければ、解決しなくてよいのです。又、私は年齢から推して済んだ話をぶり返して、
行う気持ちもありません。(親族への責任は私にはないのです⇒書いたものをバックミラーに掛けておいた)
まさかとは思いますが、谷口健彦を表で裁くならよいとしても
ウラでヤッテも解決にはなりません。極初期のころから気付いていたことですが、谷口健彦をウラでヤレば、
各種妥協もしくは、両成敗の口実にはなるかも知れません。死んでいなくても死んだことにすることもできます。
又私が死ねば時効も早まることでしょう。叉妥協で解決すると云うならば、誰が先に妥協を持ち込むかの問題になるのです。
(何処と妥協すれば人質事件が解消されるか?⇒後は全て方便で通る)この世は方便と妥協と良識の世界でもあるのです。
注1:3億6千年万年前に地球に人類はいたのか?いなかったか?
の問題のなのです。⇒何かの方便かも知れない。
注2:原爆は人殺しの手段であって人殺しそのものではないのです。
注3:(嘘も支離滅裂な言葉?も方便としてなら通るかも知れない。⇒(常識的には時と場合、立場よる)
注4:良心に引っかかることは、良心に謝っても駄目なのです。結局は行為で示すより仕方ない⇒開放される⇒許される。
|