愛知県人権擁護委員会に提出した、調査依頼書にも記したこと
でもありますが、GLA教祖高橋佳子の代表的な教説の一つに「奇跡とは心に起こすものである」
と云うものが有りましたが、当webページに記す事件にしても、それぞれの人達の心に奇跡が起きて、
それぞれが自分の過ちを悟り非を認めれば、簡単に解決することなのです。私も当然そのように進展する
ものと思い込んでいましたが、認識が甘かったと云わざるを得ません。
谷口健彦なども当然教説は知っているのだから、私と同様にそれぞれの
人達の心に奇跡が起きるものと、認識していたに違いないと気が付けば、では、彼は誰の心に奇跡が起きることを
一番期待していたのか? と更に考えれば、当然私と云うことになります。高橋佳子の教説は、一面に於いて多くが同じような
受け取りようによっては内容が違ってしまうと云うものを含んでいます。これでは教説自体が二虎の間に置かれた肉片のようになり>
解釈の仕方により争が生じます。
ナ
又「動機は結果と同じである(例えば、Aさんが、「カクカクシカジカ
になることを願って行ったことは、結果的にカクカクシカジカになる」と云うもの)とも説きましたが、
彼女もしくは彼女の取り巻き連中の、云うところの因果の法則により、この世で未解決又は動機に回帰しなかった結果でも、
あの世に引き継がれて必ず、動機に帰還すると言えば言えますが、この世には時間の制約があります。ものごとを進めるには、
次なる段階に進まなくてはならない時間的な制約が有ると云うことです。
あの世では生(意識)は生き通しであり、永遠に時間があるから何時かは
動機は結果に回帰するかも知れませんが、この世のことはこの世のルールで解決しなくてはいけないのです。
ですので、一定の期間内に回帰しない場合は、動機と結果は一致しなかったと解釈せざるを得ません。
生きながらにして霊の世界に迷い込み、自分が勝手に創った霊的因果に囚われ、流され、すり替えられ、正当化されれば、
動機と結果が違って来るのは当然でなのです。
|