仮に因果の法則が有ったとして、あの世に持ち越されたモノが
一般的に云われている永遠の生の中で、想像を超えた永い時間を経て、結果が動機に回帰するとしても、
この世で本人(原因、結果を考慮して何事かを行った者)が想い描いた結果に反したものが現れ反省させられ、
修正させられた結果で回帰したとしても、本人が無自覚の内に動機の中に抱え込んでいた不純物が現れ、修正しなければ
ならなかったと云うことではないのか?そうでなくては因果応報の意味がありません。
そうであれば、彼らも(教祖と云われる人達)我々と同じ条件の基に
因果の法は作用するのであり、動機がいけなかったら修正しなくてはいけないと云う点に於いて、因果の法に矛盾は生じません。
どういうことか?と言えば、彼達は、宇宙即我の悟りを得ていないから、
因果の法から解脱してはいないと云う意味です。以上の観点からしても、人間は間違いを犯す存在であることを考えれば、
この世のことは、時間の制約を含めた、この世のルールで行わなくてはならないと思います。
ニ
動機に関して、良心的にやましいことがなくても、(良心にしても
自分本位の良心から脱することはできない)動機と結果は一致しないで、結果が良からぬものになる場合があると云う
意味です。外部からは分からないのです。多分当人にしても複雑に様々な要因が絡んでいれば、如何なる動機で
かような結果が生じたか?など解からないと思います。何が言いたいか?と云えば、動機と結果の因果関係は、
この世的な根拠をもって立証はできないと云うことです。
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霊的根拠をもって因果関係は立証はできないのですから、例えば
あなたが私から借金の返済がしてもらえないのは、霊的には、カクカクシカジカの原因によるのです。と云った類のモノが
出てくるのです。言い換えれば、教祖といったような立場の強い人は、一方的な言い分ができるようになるのです。
叉、霊的立場の強い?人は、自分勝手な霊的因果を組み込んだ道理や正しさなどを主張できるのです。
そのような癖が付くと次第に、頭がおかしなるのです。
ですので霊界探訪者にとって、この世のルールや因果律は命綱とも
云えるのです。例え霊的立場の強い人の教えやアドバイスと云えども、この世のルールを離れて、勝手に創られた
霊的因果に基づくルールを持ち出されれば、マインドコントロールはまり、過ちが生じるものと考えなくてはいけません。
当局はここの処をシッカリと押さえて、対処していただきたいと思います。
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