私はGLA以前の体験でテレパーシに関する体験を2回、それも全く
関係のない別々の人(所)で体験しました。従って同じテレパシーに属するものでも、その種類(表し方又は表れ方)
が異なることを知っております。経験の一つは、会場と言う場所(建物の一室)で距離は少し離れていましたが、
互いに対面して行われました。行われたと云うよりは自然に発生したと云った方が適切かもしれません。
もう一つは互いに対面できない状況で起きました。別々の建物(双方の居住処点)で距離は15kmほど離れていました。
講演会などの場合、聴衆者は講演者に対して、さまざまな想念の言葉を
発しているものです。そうだ!そうだ!とか、オレの場合はこうだった!とか。果てはあなたは綺麗ですねぇ、などなど。
その時、講演者は私のそのような、想念の発言の一つに対して、私の方を振り向きハッキリと言葉で答えたのです。そのしぐさは
実際に放たれた言葉に対応するものと少しも違いがなかったのです。私は余計なことを云ったことに気付き
(実際は言ったのではなく想っただけですが)止めようと思ったのですが、言葉はトッサに止めることができますが、
想念はそうはいきません。無意識の内に3,4回コチラが想うものに対して、相手が言葉で答えると云う
ヤリトリをすることになりました。
ウ
その様子は、他の参加者も気付き双方の様子を見つめも、見比べておりました
ですから、講演者が私の想念の言葉をほぼそのままの形で、受け取ったことは間違いありません。
私はヤットのことで心の中で謝りましたが、悲しくもないのに涙が湧き出てきました。ど肝を抜かされ逃げるようにして、
会場を去りました。今より33年前(平成五年基準)のことです。しかしその人が現在も同様能力を保有しているとは限らないのです。
個人的な考えであり、後になって気付いたことですが、霊能力はポンプの呼び水のような一面があり、呼び水だけに頼れば、
呼び水は何時かは枯れ、自力で吸い上げる道も絶たれてしまうのではないかと思うのです。
話が脇道にそれましたが、上記のような体験が有りますので霊能力が
有ると聞いていた、谷口健彦に対しても最初は腰が引けたのも事実です。一つの結論として、テレパシーは、発する方は簡単で
原則的に言えば誰でも出来るのですが、受ける方は非常に難しく間違いやすいと云うことです。理由はラジオの受信と同じで
発信者の波動に合わせなくてはならないからです。発信する方は、自分が発信した内容を、相手が受け取れたか?どうか?
を確認できる手段叉は能力があれば、不確かではあるが、一応テレパーシーと云う現象が存在すると云うことは理解できます。
但し内容に付いては、自分の心で判断するものですから、自己責任になります。受けた相手も自己責任なのです。
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