当ページに記す事件に関しては、私からは如何なる人に対しても、事実の
存在の真為を先に切り出して話すことは出来ません。それは正直に答えてくれると云う保証がないからです。
勿論無理に切り出すことはできますが、相手が正直に話してくれなかったならば、お互いが気まずい想いをするのです。
そして一度気まずい想いを創り出せば、事件そのものが解決しない限り、殆ど回復の見込みがなくなるのです。何故なら、
お互いに自分自身では、肯定否定いずれの言葉にしても、責任が持てないのだから、相手に詫びるたり、
言葉の訂正や取り消しは、自分の責任ではできないのだから必然的にそのように進展します。私から話を切り出させたかったら、
前もって事実を正直に話すことを約束してもらわなくてはならないのです。
当事者である私には、光の部分は覆い隠されこれと云った経歴もなく
貧乏暮らしを行っている、などと云った闇の部分のみで、人前にでて大きな顔ができる分けがないのす。
小さくなっているより仕方がないのです。そのことが不合理であり堪忍しがたいことなのです。又、私から事件に付いて話すことは、
むつかしいけれどもヤレば、出来ることではなくて出来ないことなのです。であるならば、陰で如何に評価いただいていても
集団の中では、見世物同様の立場になるのです。ですので、私は幸福の科学の行事や学校の同窓会などへの出席は、全て、
お断りして<おります。
一時的なことなら、誰でも見世物のような状況に立されることも
起こり得りますので、私のケースは特殊なものではなく、従って人権に関わる問題ではないとする、見解もありましようが、
生涯の半ばをもってはじまり、以後解消がなされていないと云う、長期にわたる事実は、人権侵害に相当するものであることは
否定できません。ですから光の部分も、何も無かったことにするなどと云うことは、金銭的なことは別としても、
人道的立場から許されるべきことではないのです。ちなみに家内は、約10年ほど前に、(平成6年基準)
当時の幸福の科学中部本部長から(事件の存在を)「調査したところで、金銭も何も出てはきゃあ〜しません」
と断言されていますので、その言葉を覆すことは幸福の科学の責任問題になるのです。公安としても大変な仕事になるのです。
m
▲暁の小道メイン
▲MyHistory
▲木洩れ日の空間 ▲不老の湖畔
|