当Webページに記す事件は、カルト宗教や、官、財の馴れ合い
腐敗構造に関連する問題を含んでおりますので、どのように解決がなされるかによっては、国民の将来に拘わる
問題になるものと思います。既に多くの国民の知ることになった問題ですので、司法解決に持ち込むか?行政解決でお茶を濁すか?
いずれにしても国民が納得のできる方法で解決すべきことなのです。さもなければ、
後になって問題をブリ返すことになると思います。
魂の次元で捉えれば、この事件は放置されれば、何の罪も無い人々が
次から次へと共犯者として、創り出されることにもなりかねません。どうゆうことか? と云えば、
既に、この事件に関連することになった人達は、ウラと表や建前と本音を使い分けざるを得なくなっているのです。
忌々しき事態に抵抗をもって接している間は、魂は腐るものではありませんが、流されて、ウラ、表を使い分けることは、
人間なら避けて通れない当然の行為と考えるように進展してはおしまいでする
ネ
ウラ表を自分が使い分けることに、何の抵抗も感じないようになれば
魂は腐って行くものと思います。衆人環視の元で事件が放置されたままであれば、衆人の意識も、そのように進展して行のです。
仏国土ユートピアを建設すると、公言した人達がウラでは丸反対のことを行ったのですから何をかいわんや!です。
人々はウラと表の矛盾を、見て見ぬ振りをしなくてはならなくなる、社会が到来するのです。そうゆう社会が到来すれば、
見て見ぬ振りをするだけではなく、自分もウラと表を使い分けなくては、生きて行かれなくなるのです。
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この世が、嘘(方便)を使わなくては生きて行かれない社会で
あることから、類推していただければ理解できると思います。どうゆうことか?と言いえば方便に鳴れ親しんでしまうと
嘘と方便の区別が付かなくなると云うことです。ボヤキは以上にして、先を進めれば、当局が本気で解決する気になれば、
まだこれと云った重大事件が発生した訳でもありませんので、何らかの障害がない限り、
そんなに困難なものではないのです。
被害者の私に償うものは、私自ら既に準備してあることですので
(ノウハウは法律的に認められなくても自然に作用するのです。私が提案した、ものと認めさえすれば、私に有用に作用する
と云う意味)k容易に解決できる事件とも云えるのです。それを邪魔しているものはなにか?の問題にすぎないのです。
結論を述べれば、(私の立場で霊的な解釈をすれば)当事件は、何がこの事件を解決困難にしているか?を衆人に知らせるための
事件とも云えます。当局は衆人環視の元に国民の納得が行く解決をしていただかなくてはなりません。
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