私も霊的因果や背景を考慮した行動はとってきました。例えばこのwebページ
にも記した、ノストルダムスの予言にしてもそうですが、それは殆ど自分自身の中での捉え方であり、他人の捉えかたを
拘束するものではありません。外部に対しては、この世的に説明できるもので併記してあり、何ら不都合は生じていないと思います。
霊的因果や背景を前提にした言行は、この世的ルールや因果でチェクをしています。はみ出たことは行っていないと思います。
タバコに火がついたから、「霊的に肯定されたものと想い、意を強くした・・」
などとも公表しましたが、そのようなことは、この世的な原因、結果としては、何ら外部に関係をもたらすものでも、
事態を左右するものでもないのです。事態が左右するならば、情報として受け取った人の捉え方によるのです。幻覚だろうが、
事実であろうが、道徳的にも法律的にも関係ないのです。証拠が提出できなくても、言っても良いのです。
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タバコに火が付いた・・。以下に、誰それの霊力の賜物だなどと言えば
例えばGLA教祖の霊力の賜物だ!などと言えば外部に影響を及ぼします。上記は、幸福の科学が創立される以前のことです・・。
そして、事象は簡単なことですが、この世の原因結果と霊的な因果をどのように捉えるか?解釈するか?は、深遠な意味を
含んでおります。少なくても、霊的因果を論評するのには、自分自身も含めて結果でしかできないのです。
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私の「タバコに火がついた」現象を見方を変えて解説をすれば、霊存在は全く
ないとする人にとっては、私の言っていることも、GLA、高橋佳子の思想も、幸福の科学の思想も、基本的には同じことになるのです。
しかし、それでは「浜の真砂は尽きるとも、世にカルト宗教は尽きまじき」と云うことになるのです。警察などの当局が、
監視できるようになり、眼前の事態が沈静化したのは、何が原因か(どの思想か?)を考えていただく必要があるのです。
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他方、当時件に関係しない人にとっては、霊存在を認める人も認めない人も
唯の話に過ぎないのです。又、関係する人でも、GLAと幸福の科学、その他の人で捉え方、解釈が違っていても、
それは自由なのです。要するにそれぞれの立場の人の問題に発展すると云うことなのです。これは重要なことです。
意味が深遠であると云うことなのです。面倒だからと云って、(理解力がないから)
味噌も糞も一律にして済まされるものではないのです。2005年08月18日⇔楽天プログより
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