(1)GLA高橋佳子、幸福の科学大川総裁、その他が主張していると
考えられる霊的因果が、今生に引き継がれて過去世からのカルマの修正を求められているとするならば、その原因は、
唯の遺恨であり修正を求められているのは、私ではなく彼らの方です。求世の使命を過去世で私が、解決不可能な矛盾を創り邪魔立てした結果、
私にやり直しを求められているのではないのです。「これで三度目だ」の、「霊魂を抹消する」だのとたわ言とを流せば、
(他に心当たりの原因はがなければそのように推測するしかない。言質をとがめられるなどと思う者はお粗末としか言いようがない。
解ってはいない証拠なのですほ脅迫なのです。「そのような資格が何処にあるのかの?」私だけならまだしも、過去にもにも類似例があり、
未来にも行えるとなれば、国の放置できる問題ではないのです。
(2)教義、思想に関することで社会的な迷惑や害を及ぼしたら
公の問題になるのです。個人的に謝罪されれ許せば、許した人の責任になるのです。許さなければ争いになり、国に責任を移行すしか
仕方がなくなるのです。だから謝罪するなら国に謝罪しなくてはいけないのです。勿論、私の場合は国が間違いを指摘してしてからのことですが、
指摘されれはば、謝罪すると言っているのです。どこに間違いがあると云うのか?インターネットで公開しているのだから、
国なら指摘する手段がないとは言えないはずです。結論を先に言えば、私は霊的因果をこの世の賞罰に当てはめることは、認めないと言っているのだから、
許す分けに参りません。だから「解決のための非常手段として人質が存在すのか?」
(3)歯がゆい気持ちを持たれる方も居られれこととは存じますが
私は検察や国家公安の仕事に重複するようなことはいたしませんので、期待していただくことは無意味です。そのような領域には
踏み込まないのです。国に対しては、上から協力はしても下からは協力しないのです。下からから協力すれば、解決がなされなくなった場合、
国を咎めることができなくなるのです。私にとって当事件は、個人的には、他から利用されてまで解決しなくてはならないものではないのです。
解り易く言えば、国の責任を追及できなくなれば、カルトに追い込まれるので、そのようなことはしないと云うことでもあります。
予めお断りしておきます。但し、上記思惑とは別途に、不都合が生じる生じない、以前の問題として、
このような不愉快な事件はないのです。
(4)解決を私に期待していただいても、無意味なのです。
期待していただくなら国家公安当局の尻を叩いていただくしかなく、私はそのお膳ん立てをするしか仕方がないのです。国の責任追及ができる
体制でしか国には協力はできないのです。同じことは相手の側にも言えることでありましょう。トヨタといえども同じなのです。国の責任追及を自ら
不可能にしたのが、自称養父であり、その責任を引き継ぐ者が遺族達なのです。一時的には国の威光の陰で安泰かのように感じられたことでしょうが、
目に見える部分は庇ってもらっても、その奥が暴露されればかばってもらうことはできないのです。
(5)自称養父の遺族は背負い込んだ負の遺産は、所詮は
自分達で負うしか仕方がなくなるのです。何故もっと早く適切な対処をしなかったか?と言いたくなるのです。チャンスはあったのです。
上記が配慮されていないのです。私がかばっているとも言えるのです。(祖父母をはじめ先祖への義理から)ヤッテしまうこともできたのです。
ザリガニ思考が先行する癖になっている人には、自分に間違いを抱えている状況と区別がつかないのです。大きな影を見たら何が何でも
逃げればよいと云うものではないのです。(自分に傷があれば暴力団員も行うように警察に逃げ込んだ方が安泰です)
以上は言いたいことを書きましたが、基本を押さえておけば、本音が言えるようになりますので、参考にして下さい。
(6)以下に記す「」のものは想念上のもので、実際に言葉で
交換されたものではありません。高橋佳子の提唱していた、心の対話と言えば言えるものです。したがって、彼女からの苦情は受け入れられるものではありません。
どうか?を確かめる手段はありませんが、否定できる根拠もありません。幸福の科学をチヨイト批判すれば、「オイやろうや!」とくる。「何をやるのか?」
「膳悪などヤリたくはないのだろう」「来るな!」「真実の愛だの、本当な愛だなど、分けのわからないことは聞きたくもないわ!」
何も今に始まったことではないのです。あきもせずズーズーしくと云うことなのです。こうゆうことは、怒り心頭に来る前にじわじわ
とヤッケなくてはいけないのです。「何が先生だ!」
(7)いわゆる心の対話・・。「勉君か?法務局え代
理謝罪しておけよ。勿論、オレに代理謝罪してもらっても不都合はない。どちらも行わないと云うことはあり得ないと心得ていて欲しい。
一度實君の死に際のことを聞きたものだ!」「必要事項を想念で知らせるなどの試みは止めときなよ、それでよしとしていたから
事件になったのだ!無意味だ」 以下に客観的立場で述べることにする、彼は、婿養子に出されたこともあり潜在意識では、不当に
私を嫌悪していると思っていますが、父祖への義理や彼の行うべき個人的なことは済ましてもらいましたので、(ヤリ方は間違っていた、心理的な意地が反映していた)
訴訟を対象とする行為は致しません。しかし、すべては明かされることは覚悟してもらいたい。当事件に絡んで、彼を対象に訴訟しないと自分自身に
不都合が生じる人があれば、(例えば、豊田章一郎氏は自分の立場を実証する権利があるので、誰が踏讐していたら)私に気遣いは無用です。
(8)ヨーロッパ風に「法律上にカルト宗教」を創り
取り締まらなくてはいけないのです。政権内に創価学会がいるので「邪魔になるのか?」創価学会は昔ほどのカルト性はなくなっていると
思う。だからと言って新たに中身が異質の、即ち神の権威を主張できるとする、独裁指向のものの参入を許すことは大変な危険があると考えます。
GLAは、政治に参入する力も意思もないと考えられます。残るは幸福の科学と云うことになります。それがあるからトヨタ方式による
解決案が出てくるものと考えます。私は立場上異議を唱える理由はないのです。トヨタ方式があれば、勉君に無碍な代理謝罪の要求はできないのです。
(私は人質に自分の所見を知らせる権利があるのです)記⇔2008年12月23日
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