今(2009-07-14)から37年のも以前のことですかが、あるおお寺
(名前は忘れましたが、弘法様だけを祭っているお寺)の住職は、霊能力がありお告げがよく当たる云う評判でしたので、私もお伺いに行ったことがありました。
苗字だけ告げたところ、名前まで記した用紙にお告げの内容を書き見せてもらいました。後になってその住職の弟様はトヨタ自動車の(中堅管理職課長クラス)
との情報を聞きました。トヨタは、さまざまな人達が、お告げのお伺に行っていたことは想像できます。以下は私の想像ですが、
一つの霊能力に縁をもっていたところに、GLAと云う新たな霊能力が加わるとどのようになるか?多分相乗効果により自分にも、霊能力が顕著になると思うのです。
(テレパシーなどの能力が顕在化する)
互いの霊能力が協調していれば問題はないのですが、はじめからは
協調できないのです。協調していくものと考えます。縁の生じた人の仲立ちの過程において、仲立ちになる人の力量が問われることが考えられます。
以上を勘案すれば、トヨタは、外部に知られる以前に、既に高橋佳子と想念上の軋轢が生じたとも考えられます。想念上で論議がなされていたとも考えられるのです。
さらに、注意しなくてはいけないのは、霊能力の二つ目に縁をもつと顕著に現れますので、二つ目の方が正しく以前のものは間違いだったと錯覚しないことです。
具体的にはGLAが正しく弘法様の方が間違いと谷口建彦に説明されても仕方がなかったと推測します。自分に調和させる力量がなければ、
どちらを選ぶか?の問題が残りますので気をつけなくてはいけません。
ここで云う力量とは、この世的な手腕ではありません。自分の心の
問題ですから自分が、囚われなければ外部に持ちださなくても済む問題なのです。外部に持ち出せはこの世的な手腕が必要になると思います。
言い換えれば、社会的責任の小さい人ほど外部に持ち出す必要も少なくなり、責任の大きい人程外部に持ち出すひつようも大きくなるとも言えるのです。
外部に持ち出せばこの世的ルールで調和してもらうより仕方がないのです。谷口健彦の言動は仮にGLAが正しくても、他のケースでは正しかっただけなのです。
最初から自分が正しく相手が間違っている、などと言うこと自体が霊的には間違っているのです。自分が正しく相手が間違っていると云うことは、
結論としてしか言えないことなのです。以上も、私の想像内のもので真実か?どうか?は知りません。
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