守護、指導霊は、結果を導いて下さったと考えなくてはいけないのです。
「はじめから知っていた」などと主張することは、守護、指導霊を謗讀したことになるのです。結果が芳しくないものは自分のせいなどです。
芳い結果に導く前提い条件に欠けていたと受け止めるべきです。(反省しなくてはいけない⇔結果は、因果の判明を含めて、
反省材料にすぎないのです⇔反省しなさいと言われているのです)反省ができたら感謝するべきです。神に謝罪して守護、指導霊には、
感謝しなくてはいけないのです。守護霊は自分の無尽蔵とも言える光(力)と知恵を内蔵した潜在意識であり自分自身です。
高橋尚子さんは、「自分を褒めてやりたい」との言葉を表わしましたが
潜在意識、(無意識の内にでた)即ち守護霊に感謝の意を表した言葉とも取れるのです相手に感謝する場合は、相手が結果を出してからの方がよいのです。
自分が結果をだしたものについては、相手に感謝しなくても
よいものと思います。神を信じるとは、神を信じるのではなく、自分の良心を信じることだと思います。も良心は心境に応じて置きどころも違ってくるのです。
今自分が理解できる良心でよいのです。いきなり、神を信じて行なうと、無謀行為に陥る恐れがあるのです。自分では及ばないところを託する場合は、
神を信じて行うより、祈って行う方がよいのです。(私の考え方)神に祈って行うと云うことになります。
自尊心や面子も心境に応じて置きどころが変わるものです。
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