超能力所有者は、特定個人の住所氏名、その他、周辺情報を知れば
知るほど隠されていることも解かるようになり、対象に人自身しか知らないことも、知ることができるのではないか?と考えます。
そのような能力の所有者は世界には、少なからず居るとも考えられます。だからと言って、それらの人達を神又は、神の使いとするのは、早急すぎます。
該当人自身しか知らないことを指摘して、その人に不愉快な影響を与えるような意図、もしくは取引、例えばコレコレの行いをすれば、
秘密は保つ等々など指摘されても、神の前に許されることではないはずです。無視すれはばよいのです。逆に非難することもできます。
但し、犯罪に関ることは無視できませんので、謝る等しなくては
ならなくなります。霊能力者に謝罪すれば、公に関することを個人的な事柄にすり替えることになります。マフィアのやり方と同じなのです。
犯罪や道徳に反することさえ無ければ、何を知られていても、恐れることはないのです。自分しか知ってないことを知られて、良からぬことが起きれば、
実情を公表すればよいのです。それさえ行えれば、その意図は何か?であり、脅迫の匂いがただよいます。心に留めておいて下さい。
犯罪に該当するものではなくても、誰でも人に知られたくないこと、後ろめたいことなど持っているのです。
マ
当事件に関連して、幸福の科学が、余人を通さず、私に直接知らせる必
要があることが存在するなら、トヨタや国の権威に関する、何らかの危険から私を護ったことがある、とするもの以外に考えられないのです。
一種の恩着せになるのです。護る必要があったなら、姑息な手段ではなく、リバティーなどで公開してもらえば、よかったのです。
私が購読しているか?いないか?は関係ないのです。但し、幸福の科学いの言い分として、報道が管制されていてリバティーでの公開ができなかった?
と云うものも想像できます。以上の見解に付いても推測であります。推測でしかできないのです。
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以上の推測を発展すれば、関口元警察庁長官の責任は大きいと思います。
但し、元長官が幸福の科学を告訴又は、それに比的する行政処分又は指導(提案)ができれば元長官の罪は免れることになります。
これからでもできることなのです。結果でしか論評はできないのです。報道が管制されて何らかの危険から私を護っていただいた存在が有ったものと思います。
アメリカの意向、もしくは睨みかも知れない。しかし、個人的なものであってはいけないのです。
又、退職警察官(元警視総監?)が関わっていたならば居たならば
自主的な責任感からかも知れませす。であるならば、幸福の科学が私を護ったとは主張できません。私は幸福の科学から、こトヨタに寝返ったのではありません。
GLA&トヨタに屈服させられた訳ではありません。トヨタを抱き込んだのです。そして今度は、GLA&幸福の科学に対抗することになったのです。
対抗と云っても、論理上のものですから論理で勝ててなければ。国家といえどもどうすこともできないのです。又、私は、論理だけで、
自分自身を護ってきたとは主張できません。尚、関口元長官は脱線間違いなしになってから、交替した機関車の運転手とも言えます。
2007年07月17日⇔「木漏れ日の空間」より
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