宗教的善悪の言及に追加をすれば、イスラム教徒が仏像を破壊した
行為は客観的には道徳の問題なのです。仏教徒が宗教的な悪と位置づければ、宗教戦争に発展するものなのです。と云うことは、
道徳的善悪を宗教的な善悪に置き換えていれば、宗教戦争の調停は難しくなり、道徳的に捉えれば解決も容易になることを示唆しているのです。
以上は中東戦争から学んだものではないのです。GLAと幸福の科学のありようか学んだのです。彼らの主張する様に霊的因果が、今生に引き継がれて、
過去世からのカルマの修正を求められているとするならば、その原因は、唯の遺恨であり修正を求められているのは、彼らの方なのです。
求世の使命を過去世で私が、解決不可能な矛盾を創り邪魔立てした
結果、私にやり直しを求められているのではないのです。私が、事実を知る手段がないことをよいこととして、「これで三度目だ」だとか、
「霊魂を抹消する」だのとたわ言とを流せば、脅迫になるのです。私としては、現状に至った原因に心当たりのがなければ、そのように推測するしかないのです。
大衆に公開するより打開の道はないのです。言質をとがめられるなどと思う者は、陥れるようとの意図があるとしか解釈できなくなります。
私だけならまだしも、過去にもにも類似例があり、未来にも行えるとなれば、国の放置できる問題ではないはずなのです。
私以外にも類似例があり、未来にも過去生の因果を持ち出して
賞罰を行うことが可能になることに対して、国民の皆様は、危惧を抱いていただかなくてはなりません。しかし、私に打開を期待していただいても無理なのです。
国家公安当局の尻を叩いていただくしかなく、私はそのお膳ん立てをしているとも云えるのです。国の責任を追及できる体制を保ちながら、
国に協力するしか仕方がないのです。ご理解下さい。トヨタといえども同じだと思います。国の相手への責任追及を不可能にしたのが、故人となった、
自称養父であり、その責任を引き継ぐ者は、法的な解決がなされないなら、国から、代理謝罪を行うよう行政指導を行っていただくより仕方がないです。
2008年12月20日⇔木漏れ日の空間より
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