繰り返すことになりますが、先のページで、名古屋法務局から
「事件の事実は存在しない」と回答されたと、尚子が報告した時点で、直感で外堀は不要となり、私の勝ちだと思いました。(通常は負けと考えるでろうが、尚子
が法務局に質すようトヨタから指図されたことも考えられる)それは、私に特異な能力があるのではなく、長期にわたり外堀の意義と、取り扱いを考えていたからです。
既に外堀は不要となり、同様状況が持続されるなら、外堀ではなく人質に転嫁されるからです。私からは「外堀の役目」終わったとしても御用済みとは言えないのです。
小、中学生の知る事実を、10年にも及ぶ、(西暦2007年現在)
長期にわたり、(初期の小学生はもう大学生になっているのです)存在しないなどと言うことは、正直者が間違いを犯すことになり、それでも、犯せば不利に働くのです。
法務局は一体何を考えているのか?と言いいたくなります。まさか、小、中学生でも知る事実だなどとは「知らなかった」などと云うことではなかったと思いますか、
そうであるなら、怠慢と云う他ありません。他人には解かりにくいことですが私としては、外堀に代わるものができたと認識できたのです。客観的には、
このまま放置されれば、国と幸福の科学の癒着になるのです。 2007年05月15日⇔記事より
|