今後、国の権威でもって事件の解決に取り組んでもらうに当たり
私は必ずしも法律による解決を要求するものではありません。しかし、例え行政解決にしても、私の所見、言い分は必要なものと考えられますので、
当を得ている、いないに拘わらず、(当を得ているか?どうか?は解らないのだから)順不同になりますが、気の付くままを記させていただくことに致します。
先ずは、過去世の言及について・・、その内容の当否は関係な自分から過去世(生)の名前を言えば、間違いであって、霊的な罪になり、他人の催眠誘導であれば、
自分の口から出た言葉であっても、内容の当否には関係なく許される、と云った現象が起きているとしか考えられないのです。
上記よう現象が実際に生じているのなら、国の当局はGLAと幸福の科学に
対して納得のできる説明を要求していただく必要があります。先ずは、過去世の言及について・・、その内容の当否は関係な自分から過去世(生)の名前を言えば、
間違いであって、霊的な罪になり、他人の催眠誘導であれば、自分の口から出た言葉であっても、内容の当否には関係なく許される、
と云った現象が起きているとしか考えられないのです。、そのような現象実際に生じているのなら、国の当局は、GLAと幸福の科学に対して納得のできる
説明を要求していただく必要があります。個人の空想物語の延長上には、神は、人間としての責任は取らないで済み、神としての責任を取るとしたら、霊的、
';
bbad[3]='jo';
i=Math.floor(Math.random()*bbad.length);
document.write(bbad[i]);
// -->
ル
間違いを犯した者に困難を与え改心させることなのです。国の取り締まりに
携わる、人達はここのところを理解しなくては取り締まる意味がないのです。どうゆうことか言えば、現実として困難とは言えないまでも不愉快な事態が解決できなければ、
そのこと自体が霊的に正しい賞罰がなされている証であると解釈するのです。要するに矢を射ろうと、鉄砲を撃とうと当たらなければ
霊的に護られていると認識することと同じ論理なのです。しかも、一面の事実でもあるのです。(自分で原因を創っていなければ言ってもよい)
ここがカルトのカルトたるし思想と云えるのです。ここをなおざりにして、取り締まることなどいみがないのです。
言葉で説諭するだけでは、もぐりで、いくらでも神の裁きと
主張できるのです。矢も弾も玉も当たってはいないのですから説得力が生じるのです。尚、私に関する個人的な問題は、本日(2008-07-25)を持って
解決不能のものと結論させていただきます。理由として、個人的問題解決のためにトヨタ方式は、絶対に認められることではないのですから・・。
(認めなくてはならない場合もある)個人的なことでトヨタ方式などを適用されては、いずれを対象とされようとも、私が原因を創ったことにされかねないのです。
名義人になるなどいわれはありません。まっぴらごめんです。
2008年07月25日⇔「私は、法律的に解決してもらわなくてもよい」より
|