自分の悩みや困りごとを、唯単に第三者に話すことによって
気晴らしとするのであれば、その行為は、霊的に解釈した場合一種の借りになります。借りは金銭的な借金と同じで、何処かで断ち切らないと次から次へと、
借金を作らなくてはならなくなるものです。最後には自己破産するより仕方がなくなるのです。霊的な自己破産とは、自分の魂が腐り、腐った波動として現れ、
他人に嫌な感じを与えることになり、誰からも相手にされなくなることを示唆します。嫌な奴になり果てるのです。逆に他人の悩みや困りごとを聞いてあげることは、
貸しであり自らの魂の糧となり、波動を良くしますので多くの人から、好感を持たれるようになります。他人の悩み事を聞けば、視野も広くなります。
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一般に疑心暗鬼と言わる心の働きは、個人的に説明することは
むつかしものですが、根本的な問題は、自分の心に借りが多いか、貸しが多いか、に大きく左右されることは間違いないと思います。
道徳的な指導を行う立場にある人は、道徳を一方的に押し付けるのではなく、人の悩みや困りごとは、良く聞いてあげることを勧めるよう指導するべきです。
人の悩みを聞いてあげることは、道徳的に褒められることですが、そのことをすり替えて、悩みや困りごとを聞いてもらうことは、道徳的に正当なものであり、
当然の権利であると思い違いしてはいけません。以上は、唯単に自分の心の中に鬱積したものを、外に出すことにより解消するさせることを
を目的して記したものではありません。
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言葉に出すと云うことは相手があると云うことですので
相手の立場や気持ちを考慮して、迷惑が掛からないように行わなくてはいけません。いわんや、他の目的を持ったもの、例えば同情を買う、とか
噂を広めて他人を陥れると云った類のものとにすり替えてはいけません。例えば、私がインターネットで公開している内容は、自分の心中に鬱積しているものを
公開することにより解消させることを兼ねたものではありますが、それだけではありません。犯罪に対する自衛対策の意味をもあるのです。
又、唯単に自分の悩みや困りごとを、他人に聞いてもらうことが、道徳的に悪いことであると主張するのでもありません。
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ただの鬱憤晴らしでは、霊的にはあまりプラスになるとは思いません。
プラスにするためには自分の体験を生かすようにして話した方がよいのです。道徳は、相互間の問題を扱うものですので、聞いてあげることが善いことであり、
聞いてもらうことが悪いことであると云うものてもありません。もしそのようなものであるなら、両者に矛盾が生じます。唯、霊的には、借りになり甘えであり、
貪りであると云うことなのです。何故なら、疑心暗鬼になるような事態を抱え込んだ云うことは、あまり芳しくない行為があったに違いないのです。
しかし、この世は、相互間の問題を無視して生きることはできませんので、程度の問題でもあります。
この世では、如何なる行為も自己防衛なら仕方がないと云う
面もあります。が、現実に防衛しなくてはならない事態が、存在するのか?どうか?の問題なのです。人間には貸借とは別に互いに、
ソリの合わない人や誤解を抱いている人もいますが、嫌う人には無理に好いてもらう必要もないのです。無理に好かれようとする想いはムサボリなのです。
愛の反対なのです。愛のつもりで貪りを行う人は世間には、少なからずいるのです。私が、この一文を記す目的もそこにあるのです。自分の想いの中身を
愛であるか貪りであるか?しっかり見つめないと、好かれよう好かれようと想いながら、嫌われることを一生懸命に行うことになるのです。
たとえば、あなたはコレコレの理由で私を嫌っている様子ですが
それは誤解です。本当はこれこれです。などと自分の言い分を主張したところで、何の効果も得られないのです。あなたは、私を愛さなくてはいけないと、
言っていると同じなのです。害にならない誤解であれば、無理に解いて、好かれようなどと想はない方が良いのです。誤解されると害になるものは、
説明して誤解を解かなくてはいけません。言いたいことは、「誤解などされても、害がなければ何でもない」と云う気持ちになれば、
疑心暗鬼になどはならないと云うことです。愛して欲しいと想う心は貪りなのです。逆効果になるのです。
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しかし、如何なる原因にしろ、幼少、老齢、病などから
当然とも言えるものもあります。しかし、放置すると害の及ぶ誤解は解を解かなくてはならないでしょう。又、若い人の恋愛問題は結婚問題にもからみますので、
誤解があれば解いておいた方がよいでしょう。好かれようと想う、愛されたいと想うのではなくて、好かれるような波動を創ることなのです。それには、
他人の悩みなどはよく聞きくことです。適当なアドバイスなどできなくてもよいのです。力不足でお役に立てませんと答えればよいのです。
霊的現象は、人知では測り知ることができませんので、知らず知らずの内にお役に立てるようになることもあるのです。 2007年03月21日⇔再編集
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